◇ 寺沢憲重の10のラッキー名言 ◇      
:幸福だから笑うわけではない。 むしろ、笑っているから幸福になれるのだと言いたい。       
:笑いのあるところには活気もある。よく笑う人は不機嫌な顔をした人より長生きする。
:叶えるのが夢だけど、叶わなくても夢は夢さ、泣いて笑ってそれが人生、平凡がいい。
:人生いろ色あらァな、それを頑張って乗り越えたら喜びや楽しみが待ってるんやでぇ。
:人生に於いて全ての壁が、自分を高める壁だと前向きに思える人は壁を超えられる。
:ネガティブフィードバックの時こそ、得難い学びのチャンスそのものなのである。
:大切だと思うのは世に名を博した偉い人や大作家とはなるべく謦咳に接することである。
:たった百人の中の、私という自意識や誇りや自尊心や見栄や保身や奢りや愚かさの孤独。
:他人と比較するのは無意味だ理想の自分と比較せよ。何歳でも自分を変える努力をせよ。
:人生のターニングポイントの決断には。やり始める勇気とあきらめる勇気が必要である。 

2008年04月06日

囲碁に興じる日々

三級になるまで

「わしと打って見るか」やくざの〇〇さんが声をかけてくれた。
上位者のお誘いを無下に断るわけにも行かず。「えっ!いいんですか」
軽く頷く相手「それじゃ・・お願いします」と言って対面に座った。
「わしに一度でも勝ったら、置石を一つ減らす」「…はい」

その日からほとんど毎日のように二人は打った。石を取られてボロボロに負ける、
こっちは投げることをしないから、とことんやられるまで打ってしまい大差で負ける。

囲碁は地の多い方、囲っている目の数が多い方が勝ちなのであるが、
石をぎょうさん取られるから、せっかく囲った地が埋まってしまう。
何度やっても負ける。最初のうちは勝ち負けよりも胸を借りている
気持ちが強く教えてもらっているんだからと感情を迎えることが
できたが、少しづつ勝てそうな碁が解って来ると負けた悔しさが
感情となって現れ、店に帰るや否や椅子を片っ端から蹴飛ばした
りした日もあった。相手が悪いよね5段以上で強いんだもん…。

「今の碁は、あそこをどうしたらよかったのかなぁ」と〇〇さんに問うと
「終わってからはわからんなぁ」と言う返事が返ってくる。囲碁の
世界にもゴルフのように茶々を入れて教えたがる教え魔が多いものだが、
ああだこうだと教えることは一切しなかった。打って打ってわしから盗めと
いった教え方である。後々になって考えるとそのことが良かったと思った。

九子局から七子局にようやくなることができた。そんなある日…

「互い戦で打ってみるか」「…えぇっ!」やっと七子で打てるよう
になったと言っても今までに二度しか勝ってないのに…と思った。
「だいぶ碁が解って来たから。結構打てるかも知れんな」と言うのである。

もちろん私が黒を持って先番で打ち始める。今まで碁盤の上にあった
ハンディの七つの石が無いのである。それまでは地を何とか確保しようと
考えて打っていた棋風では相手の思うようにさばかれ当然のことながら大差で負けて
しまう。しかし互い戦で打つということの大事な意味がおぼろげに解って来た…。

しばらくは七子で打ったり、互い戦で打ったりしてもらっていた。自称五段とは
言っているが県代表になってもそこそこ戦えそうな棋力の持ち主である。
そう易々とは行かない。七子で勝って六子局に成るには一級から初段クラスでないと
無理なのである。

しかし奇跡が起きた。それは互い戦で打ったときのことである。中盤までは石を取ら
れて不利だった。誰が見ても勝てそうに無い、ましてや相手が悪い(強すぎて)、
ところが中盤以降から相手の大きな石の集団を殺してしまった。
私が相手の石を仕留めたのだ!!「こんなことがあるんや」互い戦で私が勝てたのだ!!!。

〇〇さんは負けたことを意に介さず、少し作り笑顔で投了した。そしてこう付け加えた…。
「安永道場へ行って三級で打ってみぃ」もう三級ぐらいで打てそうやでと言うのである。
まさか!?3級ではまだまだ通用しないんじゃないのかな…?。

下につづく


ラベル:囲碁 棋力
posted by てらけん at 12:54| Comment(0) | TrackBack(0) | Terakenの囲碁短編小説 | 更新情報をチェックする
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