◇ 寺沢憲重の10のラッキー名言 ◇      
:幸福だから笑うわけではない。 むしろ、笑っているから幸福になれるのだと言いたい。       
:笑いのあるところには活気もある。よく笑う人は不機嫌な顔をした人より長生きする。
:叶えるのが夢だけど、叶わなくても夢は夢さ、泣いて笑ってそれが人生、平凡がいい。
:人生いろ色あらァな、それを頑張って乗り越えたら喜びや楽しみが待ってるんやでぇ。
:人生に於いて全ての壁が、自分を高める壁だと前向きに思える人は壁を超えられる。
:ネガティブフィードバックの時こそ、得難い学びのチャンスそのものなのである。
:大切だと思うのは世に名を博した偉い人や大作家とはなるべく謦咳に接することである。
:たった百人の中の、私という自意識や誇りや自尊心や見栄や保身や奢りや愚かさの孤独。
:他人と比較するのは無意味だ理想の自分と比較せよ。何歳でも自分を変える努力をせよ。
:人生のターニングポイントの決断には。やり始める勇気とあきらめる勇気が必要である。 

2019年11月20日

てらけんのメールに届いた。小説『けっ!くだらん』を読み終えて…。

 
 小説『けっ!くだらん』を読み終えて


 感想文、〜小説『けっ!くだらん』を読み終えて〜をお届けさせていただきます。

  小説『けっ!くだらん』を読み終えて

 誠に読み応えのある小説です。
 持病のめまいのため読み終えるのに三日もかかりましたが、
 不思議なことに読み終えた後、気持ちが爽やかになりました。

 読了日が令和元年11月11日。
 当小説の183p、「最後に」の日付が平成29年11月11日でした。
 「けっ!くだらん」ようですが、どちらも同じ日付に不思議な「縁」を感じております。

  第一章 『青』

 ふるさとの母なる我が"熊木川"。童謡・唱歌「ふるさと」の歌詞そのものですね。
 幼い頃の夏休みのおもな遊びは川遊びでした。当時、男の子は水泳パンツなど珍しく
 殆ど“黒猫ふんどし”。
 小説に描かれた内容はどれもこれも身に覚えのあるものばかりです。
 私は鮎釣りが得意でした。毛ばりにはそれぞれ名前がついています。
 水の色と時間によって針を替え、川辺の淀みに釣るのが秘訣です。
 それに、お袋のレシピだが、鮎は焼いて酢味噌に付けて食べるのが一番美味しい。
 誰が言った言葉か忘れたが、「味の記憶は永遠である」と言う。

 かつての"熊木川"は清流で多様な魚類や生物が棲む宝庫であり、子どもたちが生きた
 自然に触れる貴重な川でありました。
 なお、旧中島町の象徴として指定された<鳥>は"熊木川"に棲む「カワセミ」ですし、
 ちなみに<花>は「ササユリ」であります。
 現在のその川は水害対策の護岸工事が原因で昔の面影がなくなりました。
 「カワセミ」の姿もなかなか見られない状況です。
 トンボや蛍が飛び交うかつての姿は今どこに行ってしまったのでしょうか。
 ドブ川であろうが清流であろうがどの川も必ずその源流の一滴がある。
 それをたどり尋ねればおのずと答えがそこにあります。

  なお、昔の清流を取り戻し、保存するには川の生態系を破壊しないことです。
 まず、微生物が清流をつくる。そこでは植物プランクトンが育ちます。水生昆虫などを
 魚類が食べ、野生動植物へと命を繋ぐ。
 それに、土手をコンクリートで吹き付けるなどの工法は川の命を奪います。
 川は息をしており生命体そのものなんです。
 その生命体は他の生命にも恩恵を与え「永遠の命のリレー」を織り成して循環している。
 自然の摂理であります。
 それは自然界のいろいろな生き物たちが織り成す生態系の法則であります。

  私は現在の河川土木工事はどのようになっているのかと、調べてみました。すると、
 『多自然川づくり』と言う概念が確立されていました。
 国土交通省による『多自然川づくり』とは“自然環境の喪失を懸念する住民から、
 各種開発の差し止め請求が起こるようになり河川も例外ではなく、ダムやコンクリート
 護岸も問題視されるようになったことを踏まえ1993年(平成5年)に成立した環境基本法では、
 公害対策基本法で規定されていた生活環境の保護に加えて、環境の保全が規定されている。
  そして1997年(平成9年)には、河川法も改正され、従来までの「治水」、「利水」に加え、
 「河川環境の整備と保全」が盛り込まれた。
 『多自然川づくり』に基づいた河川改修では、極力、改修前の自然環境のしくみを維持する
 ことを意識している。そのため、施工箇所に存在する植物や木、石などの素材を利用したり、
 自然の生み出す流速や川幅、水深、植生の変化等を残したりするよう努めていてコンクリート
 護岸による直線水路ではなく、河川の自然環境を活かした、水際の変化に富んだ河川構造と
 なっている。
  また、河川全体の自然の営みを視野に入れ、地域の暮らしや歴史・文化との調和にも配慮
 することが重要となるとなっている。(”国立環境研究所ホームページより引用。)

 熊木川の護岸工事はいつ頃行われたか存ぜぬが河川法が改正されてからであればときっと
 違っていたかも知れぬ。

  第二章 『赤』

  羽咋市滝町の別荘界隈では今、赤とんぼの乱舞の季節。複数の種類が飛び交っています。
 興味を持ってネットで調べて見るとなんと種類の多いことか。
 なお、去年ここでオニヤンマを見た。また、少年時代に故郷でみたギンヤンマはそれ以来、
 出会っていない。
 オニヤンマは同じところを往復して飛ぶので大きなタモがあれば比較的に捕りやすい。
 また、故郷ですっかり見ることのできないシオカラトンボをこで見ることができて喜んでいる。
 なお、将来、庭に小さなWビオトープWを設けたいと思っている。楽しいことになると思う。

  第三章 『黒』

  基本的に、シマミミズが釣り餌に良い。特にフナ釣りには当ミミズである。
 ナマズは大きい泥ミミズでハエナワ漁である。
 そして、鯉はふかしたジャガイモをタンゴ状にして釣る。
 また、干潮になるとススキやサヨリが遡上してくる。
 夜、懐中電灯の光で集まる浅瀬の鮎をタモですくう。
 当時誰もやっていない捕り方だと自負している。
  ある日、石亀を捕まえたら、お袋がお酒を飲まして逃がしてあげなさいと言われ川に帰した。
 それに、フナが目当てなのにキンチョウ(ゴリ)やへチャ(タナゴ)がよく釣れた。
 直ぐにそれを川に放す。
 ボラを投網で捕る人もいた。モガニを竹で編んだザルに餌を付けて捕る名人もいた。
 また。春に遡上するイサザは金網と竹でできた舟形網を浅瀬に沈めて静かに待つ。

 なお、私は海から遡上する鮎とイサザしか食べなかった。

  第四章 『橙』

  親父の先祖が釶打の古江です。今W古江焼きWと言う焼き物を時々目にします。
 これは七尾の地域資源であるケイソウ土を、花器・植木鉢に加工し、中島地区古江の
 特産品「古江焼き」として市の育成支援を受けています。
  また、定かではありませんが、西谷啓治(”日本の哲学者。京都学派に属する。
 京都大学文学部名誉教授、文化功労者。(” ウィキペディアより引用。)の姓の西谷は
 西谷内から来ているとか、何かの本で読んだ気がするのだが思い出せません。

 ご先祖さんが西谷内の出身なのか、著名な方なので調べてみるのも面白いかも知れませんね。
 なお、霊水「座主の水」の近くで当水を使った蕎麦屋がありました。
 随分昔に一度寄りましたが今はどうなっているかわかりません。
 流行っているといいのですが。

  第五章 『茶』  第六章 『緑』

  加賀先生の『私の人生抄』を読んでみたいものです。と、思ってネット検索した
 ところ出て来ました。なんと、けんちゃんのブログの中でした。
  読んで感動いたしました。ここではその感想等を述べさせていただきます。
 その前に、先生の書の冒頭に出てくる「貧富禍福一如」のW一如¨で紹介させていた
 だきたい話があります。それは、あるお坊さんのお通夜でのお話であります。

 「生死一如」とは、生も死も離れていません。紙の「表裏」の関係です。"表裏一体”です。
 「裏」である嫌いな「死」を無くすように削って、削っていたら「表」の「生」が
 台無しになったと言う面白い話です。「言い得て妙」ですね。

  また、数え年と言うのは仏法の教えからきており元々の意味は生まれた時に一つの
 「命をいただく」のでそこを一歳とする。
 そして、一月一日に新たに「命ををいたく」それで数え二歳となる。
 この話よって、これは時の流れの時間ではなく「いただく命」のことであったかと、
 気づかされました。
 私達はそのように「命をいただいき」ながら「生かさせてもらっている」のです。
 他力ですね。

  (一) 貧苦の妙薬に生かされて

  先生は信仰深く慈悲に満ち溢れた母の影響があって、生活の中に仏法が生きていたのですね。
 偉大な方の伝記を読むと最後の結びには必ずと言っていい、母の事が書かれています。
 いかに人は母の影響が大きいか、物語っています。

 「十億の人に十億の母あらむも 我が母にまさる母ありなむや」
 ”宗教家・哲学者の暁鳥敏(あけがらす・はや、1877−1954)の歌である。
 彼の母親が亡くなったときに作られた『母を憶う歌』370首のうちの1つであります。
 現代語訳:世の中のすべての人には母親がいる(いた)。しかし、自分の母親よりも素晴らしく、
 そして尊く有り難い存在は、この世のどこを探してもいない。となります。
  この歌の凄いところは、自らのことを語っていながら、十億人のすべての人に該当して
 しまうことであります。「うちの母親は世界一だ」「いや、うちの母親のほうが上だ」と
 いったランキング争いではありません。(”犯罪被害者の法哲学のブログより引用。)

  そうなんです。皆さん一人一人もこの歌のように、そうですよ。と歌っているのです。
 そして、彼は母の死に接し何ヶ月も泣いていたそうです。
 ついでに、もう一つ暁鳥敏の歌を紹介しましよう。
 「とにかくに われに尊き われを産みし母なりければ われにいみじき」「いみじき」とは
 善と悪に対してもいうことばですが、この場合は「素晴らしい」「最高だ」という意味です。

   母という字を書いてごらんなさい
   母という字を書いてごらんなさい
   やさしいように見えてむずかしい字です
   格好のとれない字です
   やせすぎたり 太りすぎたり ゆがんだり
   泣きくずれたり 笑ってしまったり
   お母さんにはないしょですがほんとうです 
    ー サトウ ハチロウ ー

  『父母恩重経(ふぼおんじゅうきょう)』(父母の恩をわかり易く説いたお経)に、
 「父母の恩重きこと天の極り無きが如し」また、「己れ生ある間は、子の身に代らんことを
 念(おも)い、己れ死に去りて後には、子の身を護らんことを願う」とあります。
  自分が生きている間は、子供のためには自分の身の危険をも顧みない、この世を去って
 から後も子供を護りたいと願うという、正に、命をかけた無償の愛、それが親心なんですね。

  (二) 小・中・高教師を遍歴して

  ここでも母の慈愛の心、恩愛がでできます。
 求道の精神や参禅、先に述べた暁鳥敏師のこと、桜井鎔俊和上について述べられていますね。
 「称ふれば我も仏もなかりけり南無阿弥陀仏の声のみぞして」これは一遍上人の歌です。
 先生の念仏三昧を伺い知ることができます。

  「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候死ぬ時節には
   死ぬがよく候これはこれ災難をのがるる妙法にて候」
  ”江戸時代の曹洞宗の僧侶である良寛の言葉です。
 一八二八年の冬、良寛が七一歳の時、住んでいた新潟の三条に一五〇〇人以上の死者が
 出る大地震が起こりました。幸いにして、良寛自身には被害はなかったのですが、子供を
 亡くした山田杜(と)皐(こう)に送った見舞い状にこの一文が出てきます。
  災難に逢うときは災難に遭い、死ぬときには死ぬしかない。私たちがどんなに手を
 尽くしてもそれは変えられません。だとしたら、それらを受け入れて生きるしかないという
 意味の言葉です。
 どんなに不運が続き、大災害に逢おうとも、それは紛れもない命の現実の姿でしかなく、
 そのことを「災難」としてしか捉えることができないならば、どこまでもその不運を嘆いて
 生きて行くしかありません。
 子供を亡くし悲嘆にくれる友人に対しそのことに一切触れることなく、
 「人として生まれたからには生老病死からは逃れることはできず、あるがままを
  受け入れ、その時自分ができることを一生懸命やるしかない」という仏教の教えを
 語ることで励ました、心のこもった言葉ではないでしょうか。
 そこには良寛さんの温かい人間味が感じられます。”
 (学校法人 光華女子学園 今月のことば「平成23年1月のことば」より引用。)

  ここで、「視線教育」という言葉を始めて知りました。
 おそらく加賀先生独自の言葉ではなかろうかと存じます。
 生徒一人一人に視線を向ける。特に問題生徒に視線を投げかける。
 また指名をよくする。生徒は認められていることを知ると、必ずよくなってくるものである。
 など、加賀先生の教育への情熱はただならぬものがあります。

  (三) こころの健康づくり

  ここでは、鹿島町の教育長時代の夢として図書館を設けることが述べられていらっしゃいます。
 現在、中能登町立鹿島図書館(公立図書館)が設置されており、先生の夢が実現されています。
 また、当図書館に中能登町生涯学習センターラピア鹿島(コミュニティ センター)が隣接されて
 おり芝生の広場もあります。
  それに、子供の憩いの場、公園も整備され、町の文化ゾーンとなっています。
 先生がご存命であるならばどんなに喜ばれたことでしょう。
 先生が種を蒔かれ、それが現在実っていると言うことであります。
 先生の「命の花」が見事に咲き誇ったと言うことであります。

  (四) 健康法の実践について

  食については昔から腹八分といいますね。
 また、複式呼吸は座禅からきています。
 なお、先生の実践された健康法は現代に通じ氏の「先見の明」に頭が下がります。

  (五) 諸事感謝と心の奉仕

  人生で経験することに無駄はない。「塞翁が馬」という言葉の通りです。
 また、「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」人生を川の瀬の浮き沈みに見立てて、不運があっても、
 そればかりではないから落ち込まないことだ、という意味のことわざです。
 「禍福は糾える縄の如し」「かふくはあざなえるなわのごとし」と読み、交差する縄の表裏を
 たとえて、幸福と不幸は表裏一体となってやってくるものだという意味のことわざですね。

  「今日もよし、明日もまたよし、明後日も、よしよしよしと生きる一日」  
 平沢興(京都大学第16代総長)この歌は私の大好きな歌の一つです。

  加賀良雄先生の「私の人生抄」<菊の巻>を拝読させていただき、自分の人生に重なる
 とこともあってか、共感だけでなく救われることが多くありました。
 誠に有り難く嬉しく思います。書を通じて先生にお会いできたことに感謝申し上げ、
 この五・六章を終えたいと思います。
 そして、会せていただいたけんちゃんに有難うであります。

  第七章 『黄』

  この章ではけんちゃんのご両親のご人徳がにじみ出ています。
 唐突ですが買い物先の店は「アンニャ」だと思います。

  幼い頃の小学校での遊びの思い出にはきりがありませんね。
 校舎屋根に上がってスズメの巣をとったり、校内でのかくれんぼ。肝試し。校庭での
 トンボ、蝉捕り。運動場では草野球、陣取りゲーム、ケンケンパー、缶けり、模型飛行機等々。
 また、講堂でピンポン。巡回映画。敬老会での演芸大会。
 なお、大きくなってからはピアノの練習、フォークダンス、青年団、町内の運動会、
 盆踊り、列挙に糸目がなくきりがない。

  私も小学時代に校庭の桜の木から落ちて息ができず気絶寸前のことがありました。
 なお、けんちゃんは小さい頃、火傷にあったことをこの章を読んで知りました。
 それに、別所に火傷の妙薬があったのですね。
 良くなってよかったですね。

  第八章 『金』

  法事には亡き人の思い出話が一番の供養になると思います。
 お父さんは色々と立派な功績のあるお方であられたのですね。

  ここで私の大好きな歌を紹介させていただきます。
 「父は照り母は涙の露となり同じ慧みに育つ撫子」(詠み人知らず)
 父の大智(光)と母の大悲(水)の慧みを頂いて育つ我が子(なでしこ)
 親の智慧と慈悲によって子は育つ。これを撫子に掛けられて歌っているのですね。

 鈴木大拙は文化勲章を授与されたときに昭和両陛下に御進講された名著「仏教の大意」大智と
 大悲(智慧と慈悲)についてご講話されました。この本を再度読み返したいと思います。。

  お父さんの倒られた現場の岡田家の前の喫茶店「雅」は偶然にも私の妻の実家です。
 なお、お父さんは死の直前まで人々の為に尽くされていたのですね。
 お父さんのお言葉、「楽したらダメやぁ、楽したら錆びたノミと一緒で、
 使い物にならんようになるがやぁ」は、肝に銘じたい素晴らしいお言葉ですね。
  また、加賀先生の何事にせよ、絶対こうしなくてはならぬのならぬ(拘り)をすてることである。
 これこそ我が座右の銘にしたいものです。
 と言うのも、私は何事にも完璧で完全主義なところがあって、そのことで苦しんでまいりました。
 この言葉は私にとって救いの言葉です。
 「人はほんの一言で救われる」とはこのことです。
 ストンと腑に落ちました。誠にありがたいことであります。

  「かくあるべし」という理想は必ず現実の自分との矛盾(=ギャップ)を生みます。
 これは誤った考え方ですね。
 また、「あるがまま」とは、気分や感情にとらわれず、今自分がやるべき事を実行していく、
 目的本意の姿勢を示し、積極・能動的な「あるがまま」と解釈し、頂いております。

 「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は 変わらざりけり」
 山岡鉄舟が残した名言ですね。
  
  凶福の凶は、対する吉で成り立ち、吉は凶によって成り立つ。
 吉がなければ凶とも言えず、その反対もしかりである。
 福と禍も同様であって従って「一如」という。明も暗があればこその明である。
 明があっての暗ですね。

  なお、
 ”一如とは、絶対的に同一である真実の姿、という意味の仏教用語である。
 「一」は絶対唯一、「如」は真如・如同の意で、一異の差別なく平等であることをいう。
 世間における一切の事物・現象には実相があり、普遍的に不二同一であることをいう。
 平たく読めば「一つの如し」となる。(” ウィキペディアより引用。)

  人は瀬戸際の「死」に直面し、立ち止まったとき、真の「生」に引っくり変える。
 瞬時に逆転して生に生まれ変わるとき、その生は強靭な生になるであろう。そう思います。

 また、重度の吃音症と人を二度と恨まない話についても目が止まり感嘆致しました。

  ここからは引用文です。
 “ 信仰をする人としない人の、一番大きな違いは、人生の問題の解決を「内」に求めるか、
 「外」に求めるかの考え方の違いではないかと思うようになりました。(略)

  例えば、こうです。どうしても赦せない憎い人がいるとします。
 ある人は、憎む対象となっている存在、すなわち「外」なるものを亡き者にして、
 自分の憎しみという「内」なる問題を解決するかもしれません。
  しかし、別の人は、憎しみという心、すなわち「内」なる心を問題として、
 なぜ憎いという感情が起きるのかを内省するのです。
  そして、憎しみの心をもつ自分を深く恥じるのです。
 憎い人、すなわち、「外」なるものは、内なる問題に比べて大きな問題にはなりません。
  外に問題の解決があると考えたがる人は、外に希望を感ずる人です。外、すなわち
 憎む人間がいなくなれば、憎しみはなくなると考える、世間の圧倒的多数の人です。
  これは人生に対する、人のとる姿勢の大きく分かれるところだと思います。(略)

 「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」と
 言い切った親鸞聖人は、またさに内、仏との対面だけを内省して生きていた人でしょう。(略)
 つまり、外なるものに価値を与えているのは、内の執着です。
 空腹時の握り飯と、満腹時のビフテキ、どちらが魅力的か、価値があるのか、
 内なる食欲が決めているのです。
 にもかかわらず、ほとんどの人は、物自体に価値があると誤解しています。

  人生は楽しいことがいっぱいあるのに、なにも深刻な顔をして、問題を難しくする
 必要などないじゃないか、死ぬときはみな死ぬんだから。・・・
 「外」を大切にする人は、そう言います。
 それでも「内」に眼を向ける人は、ものごとを正しく見る眼をもっている人だと思います。(略)

 桜井鎔俊師いわく「悪人とは如来に対面して自己を根元から否定した者を意味するのである」と。
 社会生活がいろいろの意味で豊かになっていくことに生き甲斐を感じている人は、
 (本人は自覚していないと思いますが)決して、信仰を求めていませんので、如来と
 対面する喜びを体験することはできないと思います。

  「他力をたのむこころかけたる」善人は、仏ではなく、自分の心を命綱として人生という
 崖登りをしていますので、もし、その命綱から手など離してしまったら、自分が長い人生で
 築いてきた「生きる意味」を失い、奈落の底に転落してしまいます。

 《手を離せ、我が、底で受けとめるぞ》と、耳の底で仏が語りかけても、善人は人生を捨て、
 生き甲斐を失う恐怖には勝てないのです。
 仏ではなく、どこまでも自分を頼りにする習慣から脱することができないのです。悲しきかな。
 (略)とあります。

  仰せの通り 外の解決にばかり心を配っていることに気づかされます。
 お念仏は 南無阿弥陀仏は 如来と対面させる働きがあるのです。
 南無阿弥陀仏は 生きる意味を 示してくれる働きがあるのです。”
 (妙念寺・電話法話原稿一覧「平成16年 第589回 内か外か」より引用。)

  <註>この引用文の文中に登場する桜井鎔俊師について
 加賀先生は師の教えにより根本的に心の救いを得ることができたと
 「私の人生抄」<菊の巻>で告白しております。

  第九章 『桃』

  宗次郎や喜多郎の音楽は癒されますね。時々座禅や瞑想に使っています。
 我が家の正月のカウントダウンは喜多郎の曲、シルクロードで乾杯してます。

  第十章 『紫』

  この章では146pの漬物とご飯で大きくなったようなものだ。
 で、クッスと笑ってしまいました。
 また、150pでは弔問客たちが、寝ている父に向かって正座し、数珠を出して手を合わせ・・・
 (ここでも笑ってはいけないのに、つい笑ってしまいました。)

 なを、心停止、呼吸停止であっても耳は聞こえていると言いますね。耳が最後に死ぬらしいです。
 (このことからご臨終の会話には配慮しなければなりませんね。)

  やさしいお母さんの死に目頭が熱くなりました。

 小学生の頃です。久六にいたおばあちゃんがいつも西に沈む夕日に手を合わせて拝んでいました。
 確か、信仰深い高橋のおばさんだと思います。
 そのおばあちゃんから二個のボールをいただきました。
 善い行いをしたら赤い糸を、悪い行いは黒い糸を巻く。
 赤い糸巻きのボールが大きくなるようにといただきました。
 いろいろと近所の大人に育てられて大きくなったと思っています。

  それに、綺麗なおかみさんの民話が実におもしろい。
 また、けんちゃんの憲は憲法の憲ですね。
 私達の結婚記念日は憲法記念日です。
 これもまた不思議な縁ですね。

  第十一章 『白』

  蜻蛉の守護神の物語はよくできていて実におもしろい。
 小説のラストはスタンディングオベーションです。
 見事な小説に敬服致します。

  徹底的にリサーチした研究によれば、運は魔法の力でも、神様からの贈り物でもなく、
 「考え方」や「心の持ちよう」が大きく影響すると述べており、松下幸之助さんが面接の
 最後に必ず「あなたは運がいいですか?」と質問し、「運が悪いです」と答えた人は、
 どれだけ学歴や面接結果が良くても不採用にしたという話はあまりにも有名です。

  178pの「無明煩悩」「往生一定」のところで仏法の"三毒"が浮かびました。
 "三毒とは、仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、すなわち
 貪・瞋・癡を指し、煩悩を毒に例えたものである。 三毒は人間の諸悪・苦しみの根源と
 されている。ブッダの説いた根本仏教、大乗仏教を通じて広く知られている概念である。
 (" ウィキペディアより引用。)

  あとがき

  私の人生と重ね合わせて読まさせていただきました。
 私は幼児の頃「膿胸」という病にかかりました。手の施しがないと言ったその医者の前で
 母が私の口の中に手を指し込み、さらに口で膿を吸い出して私の命を助けた話です。
  それに、自転車に乗っていて、車との交通事故に2度遭いました。いずれも無傷。
 それから肺炎で入院、直近では重度の熱中症で救急搬送。
 けんちゃんと同じように運がいいのかも知れません。

  虹は七色ですがけんちゃんの虹は11色ですね。
 どの色も眩しく時には重く輝いていました。
 読み応えのある11色の深い深い小説でした。
 読み終えた後、さわやかな風がよぎります。
 主人公に同化して、いま不思議な感覚になっています。これがカタルシス効果なのでしょうか。
 とにかく高次元に昇華され、かつ、精神が浄化されました。

  「最後に」

  ここではこの小説の終わりに添えてふさわしくまとめるかのようにけんちゃんの人生論、
 エキスが凝縮しています。「生死観」即「死生観」、「死生観」即「生死観」ですね。
 すなわち「生死一如」です。
 けんちゃんの「いかにして生きるか」はそのまま「いかにして死ぬか」と言うことです。
 けんちゃんは自分が何者であるか、アイデンティティの旅に出かけたのかも知れません。
 この先も物語が続くことでしょう。まるで、ネバーエンディング・ストーリーのようです。

 読み終えた後、私にとって、ためになる話しが山積みであることに気づき感謝しています。

 「けんちゃんの大河ドラマ」にありがとう。そして、けんちゃんにありがとう。

  <終わり>

 〜追記〜 

  けんちゃんの壮絶な人生。よくもここまで調べて書かれたなぁ〜と思います。
 驚きです。小説の中の皆さんに出会ったことに感謝しています。
 更に言えば、NHKのテレビ番組あなたのファミリーヒストリー〜ルーツにまつわる
 「謎」や代々伝えられてきた「伝説」!〜を観ているようでした。

 令和元年11月19日
 けんちゃんへ
 ノッチより


 もしよかったら、あなたもこの自伝的小説 『けっ!くだらん』を読んで見て下さい!。

 読後の感想はコメントでお気軽によろしくです!!!てらけんより^^)。




posted by てらけん at 09:11| Comment(0) | 青い屋根だより | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。