◇ 寺沢憲重の10のラッキー名言 ◇      
:幸福だから笑うわけではない。 むしろ、笑っているから幸福になれるのだと言いたい。       
:笑いのあるところには活気もある。よく笑う人は不機嫌な顔をした人より長生きする。
:叶えるのが夢だけど、叶わなくても夢は夢さ、泣いて笑ってそれが人生、平凡がいい。
:人生いろ色あらァな、それを頑張って乗り越えたら喜びや楽しみが待ってるんやでぇ。
:人生に於いて全ての壁が、自分を高める壁だと前向きに思える人は壁を超えられる。
:ネガティブフィードバックの時こそ、得難い学びのチャンスそのものなのである。
:大切だと思うのは世に名を博した偉い人や大作家とはなるべく謦咳に接することである。
:たった百人の中の、私という自意識や誇りや自尊心や見栄や保身や奢りや愚かさの孤独。
:他人と比較するのは無意味だ理想の自分と比較せよ。何歳でも自分を変える努力をせよ。
:人生のターニングポイントの決断には。やり始める勇気とあきらめる勇気が必要である。 

2019年11月27日

てらけんこと「寺沢憲重」の短編小説!『歌碑のある小さな島』


 偶然にも!、読売新聞に七尾市の「机島」の紹介記事が・・・!。

  てらけんが書いた短編小説と重なりご縁を感じました!。

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 『歌碑のある小さな島』 

 野中信嗣様の感想文を添えて、野中様ありがとうございました!。


 こちらは縦書きの⇨『歌碑のある小さな島』です。

 
     『歌碑のある小さな島』      寺沢憲重

  石倉和男(いしくらかずお)の仕事はフリーのライターである。
 仕事の内容は記事を書くために必要となる情報をリサーチしたり、
 執筆に必要な取材を行ったり、資料を収集し、書く目的と誰に読
 ませるかを考えた上で、その内容を記事にまとめて執筆する。
 記事が書きあがったら、依頼者のチェックを受け必要に応じて文章
 を修正しOKが出たら仕事の完成である。
  此のごろ、雑誌、書籍、Web、フリーペーパーなどからの仕事の
 依頼がこなくて、その日は、暇潰しにネットサーフィンをしていた。

 ――新元号「令和」の考案者は、文化勲章受章者で国際日本文化研
 究センター名誉教授の中西進氏(八十九)との見方が一日、専門家
 の間で浮上した。中西氏は共同通信の取材に、当初は明言を避けて
 いたが、公表が近づいた三月上旬になって「私は関係していない」
 と否定している。
  中西氏は東大大学院修了。万葉集が専門で大阪女子大学長や京都
 市立芸大学長などを歴任した。二千十三年に文化勲章を受章。
 著書に「万葉集の比較文学的研究」「日本文学と漢詩」などがあり、
 日本古典と中国古典双方に詳しいとして研究者の間で評価が高い
 ―― と書かれている共同通信のページを見た。

  記事に掲載されている顔写真を見て、富山市にある高志の国文学
 館に訪れた時にお見かけした中西進館長! だと直ぐに気づいた。
  そっかぁ! 中西進氏は万葉集の大家だったのか、あの時にツー
 ショット写真を撮って握手でもさせて貰えば良かったと後悔した。
  万葉集は中学の国語の教科書で習ったが、さして興味はなかった
 のに俄然興味が湧き、ネットで〈万葉集〉と検索してみた。
  いくつか表記されたうちの、フリー百科事典『ウィキペディア
 (Wikipedia)』によると、――
  『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集)は、奈良時代末期に成立
 したとみられる日本に現存する最古の和歌集である。(省略)全二
 十巻四千五百首以上の和歌が収められており、三つのジャンルに分
 かれる。「雑歌」宴や旅行の歌、「相聞歌」男女の恋の歌、「挽歌」
 人の死に関する歌。と、書かれてあった。
 「全二十巻四千五百首以上もあるのか!」
  今更ながら石倉和男は凄いと思い驚いた。
 スクロールをして下の項目を読んで見ると、――
 『万葉集』の成立に関しては詳しくわかっておらず、(省略)現在
 では家持編纂説が最有力である。ただ、『万葉集』は一人の編者
 によってまとめられたのではなく、巻によって編者が異なるが、家
 持の手によって二十巻に最終的にまとめられたとするのが妥当とさ
 れている。――と、書かれてあった。
 「大伴家持なら聞いたことがあるぞ!」
 と、一瞬思ったものの何も知らないことに気づいた石倉は、Google
 の検索ボックスに、〈万葉集 大伴家持〉と入力した。
  すると、大伴家持と万葉集・高岡市万葉歴史館・大伴家持が来た
 越の国…が表示された。
 クリックしてページを開き、歌人としての大伴家持の来歴を読むこ
 とができた。
 「そう言えば、高岡市に取材に行った時に、高岡駅北口前広場で大
 伴家持の像を見たな」
  と石倉は家持の像のことを思い出した。
 仕事柄リサーチ癖が出て、持ち前の探究心に火がついた。万葉集の
 和歌の数や全巻の構成や歴史や意味などを調べて読みまくった。
  万葉集の中で大伴家持の歌が四百七十三首と最も多いことを知り
 大伴家持のことをもっと知りたくなり経歴をネットで調べた。
  大伴家持は、天平十八年(七百四十六)六月に越中の国守として、
 今の富山県全域と石川県能登地方に約五年間在任していたときに、
 越中万葉歌三百三十首と越中国の歌四首、能登国の歌三首を詠んだ
 ことが解った。

  石倉の探究心がなおも止まらなくなった。
 検索ボックスに〈大伴家持能登〉と入力した。
  ――すると七尾市のホームページが見つかった。
 机島・周囲1.3km、岩盤は3mくらい島上に同じ高さの松が一面に生え
 繁り、あたかも緑の蓋をしたようで、和倉から海上2.2km種ヶ島と共
 に望観される。昔、大友家持が訪れて歌を詠じ、畠山氏が連歌の宗匠
 を招いて遊宴を張ったとの言い伝えあり。島内に硯石という清泉が
 あり、水が絶えないとのことである。

  香島嶺(かしまね)の机の島のしただみをい拾(ひろ)ひ持ち来
 て石もちつつき破り早川(はやかわ)に洗い濯(すす)ぎ辛塩(か
 らしお)にこごと揉み高杯に盛り机に立てて母にまつりつや愛(め)
 づ児の刀児(とじ)父にまつりつやみ愛(め)づ児の刀自

 【口語訳】香島山の近くの机島の海岸からしただみを拾って持って
 きて、石で殻をつつき破り流れの速い川で洗い清めてから辛い塩で
 ごしごしもんで足の高い器に盛り付けそれを机の上に立ててうやう
 やしく供えかあさまに差上げたいかわいいおかみさんとうさまにさ
 しあげたい愛くるしいおかみさん
  ――と、七尾市のホームページに書かれていた。

  次に〈机島のしただみ〉ってなんだろう? 
 と調べていくうちに、――
 「万葉の風土」を始め万葉に関する多くの著書を執筆し「万葉風土
 学」を確立した東大文学博士で万葉集研究に生涯をかけ万葉故地を
 すべて訪れ、日本全国の万葉故地に所縁の万葉歌を揮毫(きごう)
 した「万葉歌碑」を建立し、万葉故地をまもる活動に奔走した犬養
 孝を知った。
  その犬養孝先生と奥様が昭和四十四年に机島に渡り、ゴザを広げ
 てお茶をたて、金沢市の『長生殿』という和菓子を食べ、松の木の
 下で咲きゆれている薄紫のハマダイコンの花をながめ、小鳥の声を
 聴きながら昼寝をした。
 奥様が「あのときはとても楽しかった」と言ったという記述を目に
 した。
  また、昭和四十九年に能登に講演に出かけた折に、奈良薬師寺の
 管長高田好胤さんと、作曲家の黛敏郎さんと犬養孝さんが一緒に加
 賀屋に泊まり、翌日机島に渡り、ここに歌碑を建てましょうという
 話が持ち上がった。
  その話が進み、翌五十年十月十二日、机島に歌碑が建立され、作
 曲家の黛敏郎に薬師寺の管長高田好胤が除幕式に出席していた。
 除幕式のときに、亡き妻と来た時のことを思い出し犬養先生は慟哭
 したという。
  机島に万葉集の歌碑があることを知り、石倉のライター魂が益々
 燃え、七尾湾西に浮かぶ机島に行きたくてたまらなくなった。――

  ――そして翌日のお昼過ぎ頃、
 「もしもし、ナオちゃん」――
 「はいは〜い、カズちゃんどうしたの」
 「仕事はどう今忙しい?」
 「それが暇なのよ、依頼が来なくて」
 「じゃぁ、週末はカラダ空いてる」
 「空いてるわよ、どうするの?」
  石倉和男がナオちゃんと呼んでいる彼女は、仲間を集め親睦を深
 める「コンパ」で知り合った「西本尚美(にしもとなおみ)」で、
 LOVE進行中だった。
  西本尚美も石倉和男と同じような内容の仕事でルポライターをし
 ている。――
 「一泊旅行に付き合って欲しいんだよ」
 「えぇ! 一泊旅行って、どこいくの?」
 「題して『万葉紀行の旅』だよ。うまく行ったら雑誌社に売り込も
 うと思ってるんだ」
 「だからさ、どこへ行くのかを聞いてるの」
 「石川県だよ。能登半島の七尾湾西に浮かぶ小さな島に行くんだ。
 机島という無人島さ」
 「えぇ〜、能登半島に行くの、ぜひ連れてってぇ、一度は能登半島
 に行きたかったのよ、三十六年連続日本一に選ばれた老舗旅館の
 『加賀屋』に泊まってみたいの〜」
  電話の向こうでノリノリの声が聞こえた。
 「じゃ、OKだね! 決まりということで、『加賀屋』にオンライ
 ン予約をしておくよ」
 「はぁ〜い、旅行プランはどうなってるの」
 「東京駅から北陸新幹線(かがやき)に乗って金沢駅へ、金沢駅か
 ら和倉温泉駅行きの直通の特急(かがり火)に乗り換えて和倉温泉
 駅へ、和倉温泉駅に着いたら送迎バスで加賀屋に到着。翌日レンタ
 カーを借りて行動しようと考えてるんだけど、よく考えて、詳しい
 ことが決まったら、金曜日の夜までに伝えるからね、楽しみにして
 待ってて下さい」
 「はい、はぁ〜い、了解でぇ〜す」

  土曜日の朝、目が覚めると石倉和男は前日から支度をしておいた
 リュックを担ぎマンションを出ると、ナオちゃんの携帯に電話を入
 れ、東京駅の待ち合わせ場所に向かった。
  北陸新幹線乗り換え改札口の階段の前に蛍光色が光っていて緑色
 の看板に新幹線のイラストが描かれ、南のりかえ口と書かれた大き
 な案内版の横で西本尚美は立っていた。
 「ナオちゃん、お待たせ〜待ったぁ」
 「うううん、わたしも今ついたとこよ」
 「ホームで買える駅弁もいいけどさ、出発まで時間が十分あるから
 さ、地下にあるグランスタに行ってお弁当を買おうよ」
  二人は、エスカレーターに乗って地下に降りた。あれがいいこれ
 がいいと迷ったが、浅草今半の「重ねすき焼き弁当」を買った。 
  十一時四十八分発のかがやき527号金沢着十四時二十五分に乗
 った。お弁当を食べお茶を飲み、なんだかんだ喋っているうちに金
 沢に着いた。
 石倉は日帰りも当たり前の時代なんだと改めて実感した。
 「わあぁ〜綺麗! 立山連峰! わぁ素敵!あぁ〜トンネルだぁ〜
 またトンネルだぁ〜」
  と西本尚美はトンネルを出るたびに、外の景色を眺め一喜一憂し、
 はしゃいでいた。
  金沢駅から十五時発のかがり火にのり和倉温泉駅に十五時五十八
 分に着いた。マイクロバスの送迎車に乗って加賀屋につきチェック
 インを済ますと部屋に案内された。
  西本尚美は送迎バスがついてからの仲居さんスタッフが並んでの
 お出迎えに感激し、テンションが一気に上がっていた。
  石倉は部屋に案内した仲居さんに尋ねた。
 「仲居さん、僕たち明日、机島に行くんですが、何処へ行けば渡れ
 るか知りませんか?」
 「机島ですか! ちょっと待って下さいね」
  しばらくすると仲居さんがお茶とお菓子をお盆に乗せて部屋に戻
 って来た。
 「あのぉ、聞いて来たんですけども」――
 と言って、二つに折った紙を石倉に渡した。
  二つに折られた紙を広げると、中島町瀬嵐と書かれていた。メモ
 を見ている石倉に、――
 「そこへ行けば、何とかなると言ってました」
  と、明確でないことに恐縮そうに言った。
 「――どうもありがとうございます」
  仲居さんが立ち去ったあと、お茶を飲みお菓子を食べ、そのあと、
 荷物は部屋に置き、海に面したラウンジで珈琲タイムをした。
 尚美はラウンジから海を眺め「いいわぁ〜」
 輪島塗の天女の舞を見て「うわ〜素敵〜」
 館内の装飾や美術品を見て「わぁ凄〜い」
  とテンションが上がりっぱなしだった。
 「ナオちゃん、夕食まで時間があるから、ぶらぶらと歩いて、その
 辺を散策しようか」
 「それがいいわねっ、そうしましょう」
  二人は玄関を出ると手を繋いで歩き出した。門を出ると右に行く
 左に行く、どっちにすると言って、尚美は石倉のひだり腕を抱え石
 倉の肩に頬を寄せじゃれ合うようにし、旅先での高揚感を味わうか
 のような仕草で石倉のひだり腕を引っ張り左手に歩きだした。
  加賀屋を出てわずか1分ほどで、松に囲まれた「弁天崎源泉公園」
 があった。
 「こんな近くに私好みのいい散歩道があるじゃない、あらっ! 説
 明版があるわぁ〜」
  石倉は説明文を読み始めた。なになに、
 ――ある日、ある夫婦が亀岩のそばからブクブクと海が泡だってい
 るのを発見しました。亀岩はお化けガメと呼ばれ、亀岩の近くの海
 に落ちると体が浮かばないと村人たちから恐れられていたため、泡
 はお化けガメの呼吸ではないかと噂されました。
  しかしある時、夫婦が一羽の白鷺が傷ついた足を海に入れ、その
 後元気に飛んでいったのを不思議に思って、海に手を入れ、お湯が
 沸いていることを発見したと伝えられています。と書いてあった。
 「シラサギがここで足の怪我を治したのね、 歴史深い温泉がある
 公園なのねっ」
 「何だかいろいろあるねぇ、ナオちゃん、あそこ、人より背の高い
 句碑が立ってるよ」
 「家持の妻恋舟か春の海」と彫られていた。 
 説明版には俳人高浜虚子が昭和二十四年に和倉に来り、「家持の妻
 恋舟か春の海」と追憶して現実の和倉の海を賞しました。
  と書いてあった。
 「カズちゃん、あそこから、海を見ようよ」
  ふたりは公園を出て右方向のタイルが張ってある道を歩き、海に
 突き出たコンクリートの波止の先に立ち美しい七尾湾を眺めた。
 「カズちゃん、ここは本当に海なの、湖みたい、ほら!綺麗な曲線
 の橋が見えるわぁ」
 「ほんとだ!ネットで見た能登島大橋だと思う。それにしてもこの
 海は波が穏やかだね」
  ふたりは潮の香りを感じながら雄大な景色を眺め、肩を寄せ合い
 積もる話をしていた。
 「ナオちゃん、そろそろ加賀屋に戻ろうか」
 加賀屋の美味しいワインと夕食を食べ、露天風呂からまた海を眺め、
 オーシャンビューの部屋からまた夜の海を眺め、思い出に残る熱い
 一夜を共に過ごし、目覚めてまた心安らぐ静かな七尾湾の海を眺め
 た。
  朝食を済ませ九時にチェックアウトして送迎バスで和倉温泉駅に
 向かった。駅に着くと駅前レンタカー会社の受付に向かった。
 「六時間じゃ短いから、十二時間まで借りて、その料金ですか!
 それにサポートプランをつけると、そうですか、じゃそれで」
  早々と車種を決め、レンタカーの手続きを済ませると、尚美を助
 手席に乗せカーナビに〈中島町瀬嵐〉と入力して出発した。
 「よし、これで机島に行けるだろう」
 「まぁ、アバウトね、わくわくするけど」
  和倉を出るとベタ凪の海を右に見ながら七尾湾西周回道路にレン
 タカーを走らせた。道路は二車線で七尾湾に一番近い海沿いに車を
 走らせた。海沿いには低い松が途切れ途切れに生えていて、反対側
 は青々とした稲田が続き、山裾には黒い屋根の家々が見えた。
 「――熊木川、能登中島大橋だって」
 海の方を見ると、養殖イカダや浮きのような物が無数に見え、その
 先に海に緑の蓋をしたような細長い島と横に小さな島が見えた。
 「あれだよきっと、机島は、ネットで熊木を詠んだ句を見たような
 気がするなぁ」――
  尚美はすぐにスマホでググった。
 「あったわよ、〈香島より熊木を指して漕ぐ船の梶取る間なく都し
 思ほゆ〉だって、何を言ってるのか? ちんぷんかんぷんだわ」
 「あとで調べよう。大伴家持は今でいう大臣の子だな、立派な官人
 に成るように英才教育を受け、二十八歳の頃に今の富山県と石川県
 を守るために赴任して来たんだ。そのときに能登で読んだ句である
 ことは確かだね」
  ――橋を超え、しばらく車を走らせると、
 「カズちゃん、瀬嵐は右の標識があったよ」
 「ここを右だね、もうじき瀬嵐だぁ〜」
 「ほら、左手の民家を見て、民家の屋根瓦は皆んな黒く光って、大
 きな家だねぇ」
 「海が見えて来た! この坂道を下りたら直ぐに瀬嵐だ! 防波堤
 が低いねぇ、ここからだと海面と道路がおなじ高さに見えるよ」
 「瀬嵐集会所だって、あっ! 第一村人発見!」
 「ナオちゃん、テレビの見過ぎじゃない」
 「だって、あれ面白いんだもの、ルポライターとしては、何かと参
 考になるんだってば」
 「ちょっと、あの人に聞いて見ようか」
  机島に渡るには、どこへ行けばいいのか、机島に渡る方法を瀬嵐
 の人に尋ねてみた。
 「町会長さんに机島に渡る理由を説明して、漁師さんを世話しても
 ろたら渡れるがいね」
 「町会長さんに会うには、どこへ行けば?」
 「町会長さんの家はこの道を真っ直ぐ行ったら橋があるさかい、そ
 の手前の左を入ったとこにあるわいね、そこら辺で町会長さんの家
 はどれやって聞いたらすぐにわかるわいね」
 「そうですか、ありがとうございます」
  町会長さんに直ぐ会うことができた。
 「あっりゃまぁ、東京から来たがかいねぇ」
  能登弁の洗礼を受けながら、――これこれこうで机島の歌碑を取
 材しに来ましたと伝えると、こころよく船の手配に応じてくれた。
  その場で漁師さんと連絡を取り、ふたりを机島に連れて行くよう
 にと頼んでくれた。
 橋を渡ってまっすぐ行った突き当たりを右に少し曲がったところに、
 「人麻呂社」という神社がありますから、その前の広場に車を停め
 て待っていれば漁師がすぐに来ますからと、にこやかな笑顔でお世
 話をしてくれた。
  ふたりは町会長さんに丁重にお礼を言って、車を走らせるとすぐ
 に高い鳥居が見えた。階段の上の高台に神社があり、鳥居の直ぐ横
 に『人麻呂社』と彫られた人の二倍の高さはあろうかという立派な
 石碑が建っていた。
 「柿本人麻呂を祀っている神社なのかな?」
 と石倉はつぶやいた。
 「瀬嵐って、歴史的にも興味深いわね」
 レンタカーを草むらに停め、車から降りて沖の海に長く突き出た突
 堤を眺めていると、
 「あんたらかいね」
  不意に声をかけられた。振り向くと、赤いママチャリに股がった
 漁師が立っていた。  
  すぐ岸壁に係留してある船に乗せられ、ライフジャケットを着せ
 られ机島に向かった。
 「昔は島に誰がどう渡ろうと問題無かったんやけど今は海上保安庁
 がうるさいがやちゃ」
 と、気の毒そうな口ぶりで言った。
 「そうなんですか、漁師さんのお陰で今日は渡れるようになって、
 本当に助かります」
 無骨そうだがわりと気さくな漁師さんで、机島に向かう船の上で、
 丸木舟のことや牡蠣の養殖のことや机島に前方後方墳が発見された
 ことなど、色んな話を語ってくれた。
 西本尚美は嬉しさいっぱいの顔で鼻腔を広げ、潮の香りを胸いっぱ
 いに吸い込み、近づく島と海の景色をわくわくしながら見ていた。
 そこだけ石が人工的に積まれた船着き場について、ふたりが船から
 降りると漁師さんは、
 「三時に迎えに来ますんで、それまではゆっくり仲よう楽しんでく
 だい」――
 と、ニンマリ笑い、船をバックさせた。
 「あの年代だと三島由紀夫の『潮騒』の有名なシーンを思い出した
 んじゃないの?」
  石倉は何気に言ったのに、尚美はクククッと含み笑いをし、石倉
 を色目で見た。
  ふたりは手をつなぎ漁師さんに教わった島の西方向を歩くとすぐ
 に歌碑が見つかった。ふたりが歌碑に近づいて行くと、誰が草刈り
 をしたのか雑草は低く、歌碑の表面は磨かれたように御影石が黒光
 りをしていた。
 「これだよ、これが大伴家持の句だよ」
  石倉が歌碑の文字を読もうとしたときに、歌碑の真裏でガサッと
 音がした。
 「ギャアァ〜〜〜!」
  西本尚美が驚いて大声を上げた。
 歌碑の裏で白いサファリハットが動いたかと思うと、無精髭の男が
 立ち上がった。
 「いやぁ、驚かせて悪いねぇ、怪しいものではないです。草むしり
 をしてたんです」
 「そうなんですか、こちらこそどうも」
  石倉と尚美はおじさんを見て会釈をした。
 おじさんも帽子を取って会釈を返した。
 おじさんは帽子を被り直し、ふたりに訊いた。
 「どちらから、――来られたんですか?」
 「――東京からです」――
 と石倉は応えた。
 「そうですか、どうしてこんな島に来たんですか、たまぁに、万葉
 のゆかりの地を巡ってる人が歌碑の写真を撮りに来るけどねぇ」
 「ぼくも、まぁそう言ったところです、フリーのライターをやって
 いまして、万葉の歌碑に惹かれて、現地取材といったところです」
 「そうですかぁ、こちらの方は?」
 「僕の彼女です。ルポライターで同じような仕事をしています」
 「わたしは西本尚美と言います」
 「僕は石倉和男と申します」
 「そうですかぁ、私はね――」
 と言うと、リュックから名刺を取り出し石倉と西本に差し出した。
 石倉も西本もおじさんに名刺を渡し頭を下げ丁寧に応対した。
  名刺には能登郷土史研究会会員・高野猪三郎(こうのいさぶろう)
 と携帯の電話番号が書かれていた。
  無精ヒゲを生やした高野さんが自分の略歴と現在は何をしている
 のかを話してくれた。
  元国鉄からJRに変わった一九八七年四月一日を経験し、六十歳
 定年退職後に郷土の歴史や文化、史跡に関する研究を始め、後世に
 語り継ぎたいと思うようになり、研究した資料を子供達に読み聞か
 せたりするボランティア活動を行っていると言う人物だった。
  高野さんの話を聞き終わると石倉は、――
 「僕たちにも草むしりを手伝わせて下さい」
 「そうですか! 手が荒れますよ」
 「構いませんよ、こう見えても、そんなにヤワじゃありませんから」
  石倉は手でグーを作って、そう言った。
 「ちょっと、――待って下さいよ」
  高野さんはリュックのサイドポケットから
 予備の軍手を取り出しふたりに差し出し、「どうぞ、――これを使
 ってください」
 「うっわ〜、嬉しいわぁ〜こんな格好で畑仕事をするのに憧れてた
 のよぉ」と尚美。
 「高野さん、ありがとうございます。俄然やる気が出て来ました」
 と石倉。
 「この格好で写真を撮りましょうよ」
  ふたりの浮かれた様子を見て高野さんは、
 「何を言うとるがいね、たかが軍手やがいね」
  高野猪三郎は二人の意外な喜び様を見て、嬉しくなり、ついつい
 能登弁が出た。
  三人は草が生えている前で並んでしゃがみ草むしりを始めた。
 石倉は高野さんに机島の話を聞かせてもらえませんかとお願いした。
  高野猪三郎は中学生の社会授業でこの島に渡ったことがあり、白
 っぽい作務衣を着て白い髭を生やした人がガイドをしてくれて、
 「硯石の水は絶えんがやぞ、この水をいじったらダメながや、嵐が
 来て大時化になるんやと昔っから云い伝えられておるがや」
  と話したことと、島の中央付近に深い深い井戸があったことを覚
 えていると言った。
 「その硯石はどの辺にあるんですか? ぜひ見てみたいですね」
  石倉がそういうと、高野さんは、ゆっくりと立ち上がり躰を反ら
 し腰を伸ばしながら、――
 「あぁ〜、草むしりを手伝ってくれてありがとう。もうこれくらい
 でいいでしょう」
 「歌碑の裏がすっきりと開けましたね」
  と言って、石倉は軍手を脱いで返した。
 「力を入れて引っ張り、根っこからすっぽり抜け、気持ちが良くて
 楽しかったです」
  嬉しそうに言って西本尚美も軍手を返した。
 「こっちの方です。ついて来て下さい」
  西本尚美はルポライターが取材やインタビューで対象者の声を録
 音するための必須アイテム、ICレコーダーを鞄から取り出した。
「ナオちゃん、さすが、ぬかりないねぇ」
「これ、今日のために買ったのよ、これさえあればメモを取らなく
 て済むから楽ちんなの、小さいのに優れものなのよ、二時間でフル
 充電ができ、連続して約十八時間録音することができるの、あとで
 聞かせてあげるからね」
「これさえあれば、記憶に頼らなくても、メモをしなくても、いい
 から鬼に金棒だな」
 雑草がぼうぼうの中を分け入って行くと、
「探検しているみたいな気分ね」
 と言って、尚美は肩をすぼめ石倉を見た。
 石倉はおどけた眼差しを尚美に返した。
 誰も手入れをしなくなり、雑草が伸び放題ですっかり荒れてしま
 った松の木の間を分け入り、高野さんの後ろをついて行くと、長い
 年月を感じさせる松の木の下に六十センチ程の高さで平たくて窪み
 のある石が見つかった。
 その石の傍に立って、高野さんは手帳を取り出すと「能登石伝説」
 を読み始めた。
「――昭和になる少し前の事である。
 何人かの石工職人がこの島に渡り、巨石奇岩を切り出していた。硯
 石を見つけ、鑿(のみ)で加えて持ち帰ることにしたその前夜、空
 には一片の雲もなく風もなく、海は凪(なぎ)の状態で鏡の様に静
 かだった。夜半近くになって石工が寝ている小屋が強風で倒れそう
 になるほどガタガタと大きく揺さぶられた。
  石工ら何事かと驚き跳ね起きた。小屋の外へ出てみると海は依然
 として凪いだままで、月が煌々と照り輝いていた。その夜空を見て
 不思議に思い、再び小屋に入り枕に就いた。するとまた、凄まじい
 音を立て小屋が揺れだした。その恐怖に石工らは、小屋で寝るのを
 諦め、松の木陰で身を寄せ恐れながら一夜を明かした。
  ようやく日が昇るのを見て石工たちは、後始末もそこそこに慌て
 ふためいて島から逃げるようにして引き揚げた。――という伝説が
 残っているんです」
「さすが郷土史研究家ですね、そんな伝説があったんですね、あり
 がとうございます」
  と石倉が礼を述べると、――
 高野さんは、まんざらでもない顔をして、
 「いいえそんなぁ、お役に立てて嬉しいです。まだまだ、私が色々
 と調べたことで、この島にまつわる話がいっぱいありますよ」
 「是非ともその話をお聞かせ下さい」
 「では、散策しながらお話ししましょう」
 「私が中学生の時に初めてこの机島に渡ったのですが、島が個人の
 所有地であることに驚き村のものではないのかと疑問に思いました。
 それから五十五年以上経った今になって、当時のことを調べたくな
 ったのです。それで同級生の山田寿一(やまだじゅいち)に聞いてみ
 たんです」と言って、その時の電話のやり取りを話した。

 「机島はむかし個人が管理をしていたやろぅ、中学生の時に島に渡
 った時にガイドを してくれた人の詳しいことを知らんかいね」
 「ありゃ幾地さんゆうてぇ、おらちと同級生のぉ、幾地晴美さんの
 父ちゃんやがいね」
 「そうかそうやったぁ、思い出したわいね」
 「俺に聞くよりも晴美さんに聞いた方が早いちゃ、電話番号教えっ
 さかいまっとけま」
 「高野さん、やまだじゅいちさんは何て言ったんですか」
 「あれはいくじさんといって、ぼくたちと同級生のいくじはるみさ
 んのおとうさんですよ、その晴美さんの電話番号をおしえるからま
 っててね、と言ったんです」
 「そうですか、聞かれたことが面倒くさくて怒ったように言ったの
 ではないんですね」
 「これが普通の会話やわいね、能登はやさしや土までもっていうが
 いねぇ、ハハハハ〜」
  ふたりは小首をかしげた???……。
 「それで晴美さんに電話をしたんですよ、これこれこうで、机島で
 お父さんがどんなことをしていたのかを詳しく知りたいのですが、
 お話を聞かせてくれませんかってね、そしたら晴美さんには姉がい
 て、姉の輝子の方が父親のことに詳しいからと言って、輝子さんの
 電話番号を教えてくれたんです。
 輝子さんに電話をするとお父さんは「幾地秀二(いくじひでじ)」と
 言う名前で話を聞くと、奇想天外波乱万丈でした〜」
 「それは面白そうですね、興味があります。いくじひでじさんの事
 を是非聞かせて下さい」
 「私は、名を馳せてはいないが知られざる郷土の偉人を探ろうとし
 て調べているんです。それをまとめたものを残したいんです」
 「高野さんは素晴らしいライフワークをお持ちですね、『知られざ
 る郷土の偉人』という本ができそうですね」
 「本と言えばですね、ふるさと紀行『能登の家持歌碑めぐり』と言
 う本をご存知ですか」
 「あぁ〜、申し訳ないですが存じてません」
 「そうですか、その本を書いたのは『西仙関(にしせんかん)』とい
 う人で、私が中学生の時の英語の先生で退職後、ふとしたことから
 能登各地に建つ万葉歌碑に関心を持ち調査し本にしたのです」
  と、高野さんは教えてくれた。
 「にしせんかんですか、変わったお名前ですね、出版できたなんて
 ご立派な方ですね」
 「私も郷土史をまとめたモノや功績を残した偉人の話をまとめたモ
 ノを本にして、後世に読み継がれていくように残したいのですが、
 自費出版となると、――これがねぇ……」
  と言って、親指と人差指で丸を作った。 
 「高野さん、いつかきっと、その夢は実現しますよ、頑張って続け
 て下さい」
 「石倉さん、――等伯ご存知ですか、長谷川等伯」
 「あぁ〜、申し訳ない、存じてませんが」
 「そう、松林図屏風で有名なんだけど……」
  高野さんは自慢したかったが話の腰が折れ、七尾駅前にある長谷
 川等伯(はせがわとうはく)の銅像のことを言うのをやめた。
 「いくじひでじさんは机島にいた人ですね」 
 「いたというよりも、父親の後を継いで島を守っていたというか番
 人をしていたんです」
 「いくじさんと机島の変遷を知りたいです」
 「幾地秀二さんの話をお姉さんの輝子さんから直接聞いたとき、瀬
 嵐にそういう人がおったんか、大したもんやぁと思いました」
  高野さんはそう言って、当時の机島と共に生きた幾地秀二さんの
 変遷を語り始めた。
 「父親は幾地宇一朗(いくじういちろう)という人で当時は観光ブー
 ムで和倉からの遊覧船も島に通っていました。秀二さんは県立七尾
 商業高校出身で、スポーツ万能で水泳が得意でした。
  夏場は頭に本を乗せてくくりつけ七尾から瀬嵐まで海を泳いで帰
 ってました。アジア水泳大会で優勝し、前畑秀子さんが日本人女性
 として五輪史上初めてとなる金メダルを獲得した。ベルリンオリン
 ピックに水泳選手として参加してました。
  浅草の劇場の支配人をし、ムーランルージュの劇団員と結婚しそ
 の後離婚。戦争激化で志願兵になり特務中尉になり上海の総領事館
 に勤めていた女性と知り合いました。黄河の濁流を死に物狂いで渡
 り九死に一生を得た。その後、総領事館で知り合った女性と結婚し
 瀬嵐に帰った。栄養失調で目がよく見えなかったが食事と牡蠣の栄
 養成分が効いて目が回復し見えるようになった。
  島に上陸する客から五円〜十円を貰い、観光ガイドをしたり、西
 瓜を売ったり、飲料を売ったり、キャンプ用のテントを貸したり、
 泳ぎを教えたり、島の管理をしていた。
  島に来る人がめっきり減り、牡蠣養殖も漁業も思わしくなく、町
 会議員をしたり石川県水泳協会の会長をしたりした。
 海や川で泳いでいるようではオリンピック水泳には及ばないと学校
 でのプール設置を推進した。完成したプールの竣工式で古式泳法を
 披露。輪島市生まれ元五輪競泳選手で銀メダルを四つ獲得した山中
 毅を教えたこともあった。夏場は小屋で寝泊まりし、裸足で踏むと
 危険な貝の除去など島の環境整備をしていた。
  まだおおざっぱですが、輝子さんが記録を書いて送ってくれるの
 で、それをまとめます」――と高野さんは幾地さんの変遷を語った。
 そろそろお昼にしましょうと、三人は平たい場所にシートを敷いて、
 お弁当を食べた。
  その後も島の散策を続けたが草がぼうぼうで先には行けず諦めて
 元に引き返した。時計回りに海沿いを歩くと、島と島との間が最も
 近くてわずかに砂地が残っている入江に出た。
  静かな島の小さな入江に小波が打ち寄せ、白い波飛沫が岩を撫で、
 寄せては返し、寄せては返し、小さな波音を奏でていた。
 「ここから種ヶ島まで近いでしょ、ほら、海の中をのぞいて見て、
 小さな巻貝が見えるやろう。それが大伴家持が詠んだ〈しただみ〉
 や、塩茹でして待ち針で突いて中身を取り出して食べるがや、まっ
 でぇうまいがやぞぉ」 
 高野さんはまたまた話に熱が帯びてしまい能登弁が口をついて出た。
 「まっでぇ〜? うまいがやぞ〜?」
  石倉は能登弁の発音を真似してみた。
 高野さんはちょっとイントネーションが違うがいねと言って、はに
 かみながら笑った。
 「すごく、うまいんだよって言ったんです」
  ナオちゃんは目を丸くしてうなずき、――
 「そうなの、わたし、この可愛らしい小さな貝を食べてみたいわぁ、
 ねぇカズちゃん」
 「獲ってもいいんだったら、獲りたいね」
 「さざえ、あわびは獲ったらダメやけど、しただみは漁業権に入っ
 とらんから大丈夫なんや、けど……、ちょっこし待ってね」――
  高野さんは携帯を取り出し電話を掛けた。

 「もしもし、寿一(じゅいち)、今、机島におるんやけど、東京から
 歌碑を見に来たカップルと会うてな、さっきまで歌碑の裏側の草む
 しりを手伝うて貰うておったがやけど、話しをしとったら、しただ
 みを食べたいということになったがや、それで寿一に頼みがあるん
 やけど、しただみを何とかして食べさせられんかのぅ」 
 「その人らは、何時ごろ島から帰るんや」
 「ちょっと待ってくだい」
  高野さんは携帯を耳から離すと送話口に手を当て、石倉に何時に
 帰るのかと聞いた。
 「三時に迎えに来ることになっています」
 「三時に迎えの船が来るんやて」
 「三時か、よっしゃぁ、区長さん家で食べれるようにしとくさかい、
 あとは任しときぃ」
 「そうかすまんのぅ、ほんなら頼むわぁ」
 「船を世話してくれた町会長さん家で食べれることになりました。
 楽しみにして下さい」
 「うわぁ〜ありがとうございます」
  石倉と西本は胸の前で手を叩いて喜んだ。
 「この汐越えの入江は三月頃の干潮時に歩いて種ヶ島に渡れること
 で知られてるがや」
 「そうですか、海は澄んで綺麗ですね、波は穏やかだし、泳いで見
 たくなります。とても静かでいい島ですね、住んでみたいなぁ」
 「昔は小学生らがここで泳いだんです。私の知り合いも子供の頃に、
 ご近所の人達と海水浴で渡ったことがあるって言ってました」
  私には夢があるんですと高野さんは言って、
 「島を整備し、机島と種ヶ島に吊り橋を架け、花の咲く木々を種ヶ
 島に植え、どちらかの島に360度見渡せる展望台を設け観光化し、
 泳いだり釣りをしたりキャンプをしたり、島と海の自然を楽しめる
 アウトドアレジャーと大伴家持の歌碑がある島として、昔のように
 大勢の人が遊びに来る島にしたいんです」
 「その夢が叶えば、大勢の人がここを訪れるようになり、ふたつの
 島も喜ぶでしょうね」
 「種ヶ島も机島も、瀬嵐の人たちが開拓したんです。島に渡って畑
 を耕し、雉の飼育もやってたことがありましたが、今じゃ誰も渡ら
 んようになってしもうて荒れてしまいました」
 「せあらしではなくてせらしですか、漁師さんが島に向かう船の上
 で、昔は瀬嵐の在所に舟大工さんいて、丸木舟が沢山あった。それ
 を漕いで島に渡ったって言ってました」
 「昔はろを漕いでましたけど、船外機を付けるようになってから丸
 木舟も減って行きましたねぇ」
 「島に渡り、親が畑仕事をしているうちに、子供たちはしただみを
 バケツにいっぱいになるほど獲っていたって、漁師さんが言ってま
 した。それから、来るときに見えた牡蠣の養殖棚は、今では珍しい
 竹を利用した昔からのやり方で、そのやり方を瀬嵐の海に始めたの
 が、『赤崎茂登安(あかさきもとやす)』という人だと聞きました」
 「そうなんです。牡蠣養殖を広めたという『赤崎茂登安』は私の同
 級生の父親なんです」
 「へぇ! そうなんですかぁ!」――

  高野さんは遠い目を東に向け語りだした。 
 「夜明けが近づき東の空が白み始めたころ、穏やかな朝凪の海を、
 七尾湾の牡蠣棚に向かう舟の引き波が海面に広がりを見せ、朝日が
 昇ると真っ直ぐ這うように黄金色の陽の光が海面を照らす。
 その光が机島の東のかじられたパイのように丸く岸辺がえぐられた
 小さな入江に射し込むと、そこに立つ大きな奇岩が陽の光を反射し
 白く輝いて見える。太古の昔から、その奇岩は神が宿る石として人
 々に崇められてきました。その石の周りの大きさは大人ふたりが両
 手を伸ばし石を抱くようにすれば手を握り会える大きさで、愛し合
 う男女が手を握り合って石を抱くようにして祈願すると、結婚が叶
 い子宝に恵まれ、一生仲良く暮らせるご利益があると言い伝えられ
 てきました。
 人々の体が擦れた部分の岩肌がつるつるになり、そこに陽が当たる
 と、白く輝いて見えるのです」
 「そうですか! その石は今はどうなっていますか? その場所に
 行ってみたいです」
 「今でいうパワースポット的な場所でしたが、誰も行かなくなって
 何十年にもなりますので、草ぼうぼうで松の木や雑木が鬱蒼と生え、
 原生林のようになり、今は行けません」
 「そうですか、それは残念ですね」
 「おふたりは近いうちに結婚するんでしょ」
 「いいえ、まだ決まってないんです」
  石倉がそう答えると、間髪入れずに尚美が、
 「プロポーズもまだしてないだもんねぇ」 
 と言って、ニンマリと笑い、高野さんに助けを求めるような目を向
 けた。
  石倉は眉間に皺を寄せ真剣な表情で、
 「結婚した後もライターの仕事がうまくいくかどうかが心配で、悩
 んでいるんです」
  それを聞いて、高野さんは顎を撫でながら、 
 「この歳になって思うんだけど、人生なんて先のことを悩んでも、
 明日や明後日に答えが出るもんじゃない、生きてりゃどうにかなる
 って思ってないと、人間やってられないよ。 悩みを補う明朗快活
 なパートナーがそこにいるじゃないですか、YOUやっちゃいなよ」
 「えっ何で! そこは関東弁なの?」
 「照れくさくてさ、ジャニー喜多川さんの真似をしたんじゃないの、
 ねぇ――高野さん」
  ふたりの顔色を伺い、高野さんは言った。
 「丁度いい大きさのこの石を挟んで手を握り、ここでプロポーズを
 したらどう! 一生忘れられない、いい思い出になると思うけど」
  尚美はそうして欲しそうに膝を揺らした。
 石倉はこの機会を逃すまいと思った。
  その場の空気に素直に従い、ふたりは石を挟んで手を握り、硬い
 表情で向かい合った。――
 「尚美さん、僕とケッコンシテクダサイ」
 「はい、でもそんなに短いの」
 「えぇと、――愛しています。幸せにします」
 「はい、私を幸せにしてね」
  高野さんは手を叩いて、ふたりを祝福した。

  迎えに来た船に三人は一緒に乗り、瀬嵐に戻り、町会長の家でし
 ただみをうまい、おいしいと言って食べさせてもらった。――
 「ご馳走様でした。またせらしに来たいわ」 
  和倉温泉駅前でレンタカーを返し金沢へ、金沢駅から北陸新幹線
 で東京へ向かった。

 「僕は帰ったら雑誌社に「郷土の偉人伝説」の連載記事を担当させ
 てくれと頼んでみるよ。名を馳せてはいないけど地域に貢献した偉
 人は日本中に沢山いると思うなぁ、一生掛けて調べられるいい仕事
 だと思うよ」――
 「それって、高野さんの受け売りじゃん」
 「まぁそうだけど、ヒントを頂いたということで、結婚したらさ、
 今回のようにふたりで偉人探しの取材旅行をしてさ、編集と監修を
 お互いに兼ね合いながら、ふたりで書いた記事が連載されるのが、
 ――ぼくの理想だね」
 「能登にまた行きたいわねぇ」――
 「能登弁の語尾に、思いやりを感じたねぇ」
 「能登はやさしや土までも、だって」
  北陸新幹線は長い飯山トンネルに入った。

              「完」
 
 【野中様からの感想・解説文】

 先ず小説の書き出しがとても素敵ですね。
主役の彼女の登場で先の展開が読み手にわくわくさせます。
二人の愛の行方が気になり、もう読む人の心を摑んでいます。
平成から新たな時代の幕開きの元号「令和」を切り口にして物語って
いくなど憎いですね。

 さて、ご承知のとおり万葉集と旧中島町との縁起は大伴家持が巡行で
香島津(かしまつ・七尾港)から船で熊来(くまき・旧中島町)にこられ
たことであります。

 また、歌碑と言えば実際に詠まれた場所に建立されることが最も
重要である。世の文学青年らがそこに立って、その歌を通して歌人と
対峙し思いに馳せる。それに反して、そうでない場所での建立。
二つの実感の違いはいかがなものか。想像しなくても明白であろう。
推して知るべしである。と遠藤周作は言っています。いい得て妙であります。

それに小説に登場する薬師寺の元管主・高田好胤師は次のお言葉が
あります。
・「親が子をつくるのでなしに子が親をつくる」
  子によって親にさせていただいている我が身かな。
・「かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心、
  広い心、もっともっと広い心」
 どれも、私の座右の銘であります。

また机島ですが私も想いでの多き島です。
川で育つたわが少年時代の海水浴と言えば机島でありました。
親父の勤務先での夏期職員家族親睦行事は机島の海水浴が定例です。
初めての海は透きとおっていて怖かった事を想いおこしております。
当時、シーズン中には売店が設けてあったように記憶してます。
潮が引くと隣の種子島まで歩いて行けたことを薄っすらと覚えています。

北陸新幹線の中でのお弁当を愉しむ二人。和倉温泉の旅館「加賀屋」
までの旅路がまるで楽しく読み手をハッピーにしてしまう。
全体をとおして言える事だが情景が手に取れるようで、
まるで映画を観ているように脳裏に映る。

 地元では昔から忘年会など何かに付け加賀屋を利用するのがごく自然で
した。古き良き時代に和倉温泉駅のホームまで仲居さんがお見送りして下
さる。今でも半端でないおもてなしの“加賀屋の流儀"には頭が下がります。
ある忘年会の日でした。ふとお風呂場に置かれた何の変哲も無いごく普通の
ゴミ箱を見て驚きました。そこには筆で「ごみ箱でございます」と書かれて
あったのです。加賀屋の心が隅々まで行き渡っている。日本一に納得です。

 和倉から能登島に架かる能登島大橋の曲線美は浴衣の帯の曲線をモチーフに
したとか。ロマンのある話ですね。
 レンタカーで走ったコースは偶然にも「能登和倉万葉の里マラソン」のコー
スです。それとは別に熊木川周回コースの「なかじま万葉の里マラソン」が
あります。どれも万葉集の歌人大伴家持を讃え偲ぶマラソンです。

いよいよ目的の机島に上陸。島での予期せぬドラマの展開が実に面白く想像を
掻き立てる。ここにこそこの小説のタイトルの真髄を垣間見る。

「能登石伝説」怖いですね。石には昔から神霊が宿ると言いますから。
私はこのような伝説、初めて知りました。

「知られざる郷土の偉人」の本製作。高野さんの夢が叶うといいですね。
また、西仙関先生の家持探求の情熱には尋常ならんものがあります。
名著「シュリーマンの古代への情熱」に匹敵します。
なお、「長谷川等伯」については「狩野永徳」と対比しての考察が面白く
お薦めしたい。

現在、NHKの大河ドラマに五輪の前畑秀子さんが登場しています。
それに輪島の山中選手のことなど、作者による来年の東京オリンピックを
意識してのことからか。そうでなしにこれも偶然であろう。

机島と種子島の壮大な”アウトドアレジャーの夢ランド”計画。
そこでのサンセットライブなどはバリ島に居るようであろう。
テント村や流行のテントサウナー。サウナーの後はそのまま海に。
また、家持にちなんでの短歌大会。カヌーや昔の丸木舟の貸し出しなど。
アイディアが沸き上がって止まらない。

高野さんは遠い目を東に向け語りだした。
その語りがなんとも言いがたくつい聞き入ってしまう。
いよいよ当小説のクランクアップか。

この小説は「令和」をきっかけに「万葉の旅」と二人の「ラブストーリ」
が織りなす。まさに”万葉恋歌”ですね。

"能登はやさしや土までも"と結ぶ「完」はさすがです。


 <終わり>

posted by てらけん at 09:17| Comment(6) | 青い屋根だより | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

 こんばんわ。
大変遅くなりましたが、拙い文章で申し訳ないですが感想を送らせてもらいます(*^^*)

 軽やかでありながら繊細な文章で、読み進めていくにつれ、まるで2人と一緒に
自分も旅行をしているような感覚になり、物語の中に入り込んでいきました。
能登に住む地元の方たちが皆さんとても親切で、読んでいて私まで嬉しくなっていきました。
 私は九州の田舎の生まれなのですが、自分の地元に興味をもって東京からわざわざ
来てくれた方がいたら、私はもちろん私の地元の人間もまた親切にするだろうな〜。
嬉しいですからね、田舎に興味を持ってくれることもわざわざ来てくれることも。
 そんな地元の方たちの心情なども理解されて描写されているのか、もともと
てらけんさんの人柄の優しさが物語に染み出ているのか…。

 この物語を包み込んでいるふわふわとした優しさがとても心地よく、
読み終わるとほっこりした気持ちになれます。
またこの2人と一緒にいろんなところに旅行に行きたいな。
次回作がとてもとても楽しみです(*^^*)

Posted by 上野萌 at 2019年10月29日 20:17
 上野萌さん、ありがとうございます。
 とっても素晴らしい感想文をありがとうございます。
もう、嬉しくって、ありがたくって、励みになります。
おおきにでした!。ありがとうございます!^^)。

 
 
Posted by てらけん at 2019年10月29日 20:29
 登場人物のキャラクターが解り易くていい。
描写で浮かぶ映像の世界に行きたいと思いました。
文体と物語にリズムがあり優しく美しく、読んでいるだけで
脳が幸せでした。展開と構成が本当に上手ですね。
読後感が良くて穏やかな気持ちになりました! 。
Posted by Junko at 2019年11月02日 19:57

Junkoさん、^^)。初めましておおきにです。
>登場人物のキャラクターが解り易くていい。
最高の褒め言葉です。ありがとうございます!。
登場人物のキャラを説明しないで表現するようにしました。
過分な褒め言葉をいただきありがとうございます。
もしよかったら他のページにも作品をリンクしてありますので、
読んでいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
Posted by てらけん at 2019年11月02日 20:13
てらけんさん。

とてもおこがましいのですが、感想を書かせてもらいます。

最初から最後まで、リズミカルに読めました。短編小説って一気に読みたいですもん!
(作者の郷土愛が感じられて)令和の幕開けとともに、ナオちゃんとカズちゃんの幸せな未来と能登の発展を予感させるハッピーな終わり方がとても良かったです(^^)
Posted by ハイビスカス at 2019年11月09日 00:49

 ハイビスカスさん、ありがとうございます。

 読んでいただいただけで、とてもうれしいです!^^)。
>>>とてもおこがましいのですが、感想を書かせてもらいます。
とんでもございませんです。
大変うれしい素晴らしい感想文を的確に書いて頂き有難く思っております。
>>>終わり方がとても良かったです(^^)
この褒め言葉も嬉しくって執筆の励みになります!!!!!^^)。
Posted by てらけん at 2019年11月09日 06:17
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