◇ 寺沢憲重の10のラッキー名言 ◇      
:幸福だから笑うわけではない。 むしろ、笑っているから幸福になれるのだと言いたい。       
:笑いのあるところには活気もある。よく笑う人は不機嫌な顔をした人より長生きする。
:叶えるのが夢だけど、叶わなくても夢は夢さ、泣いて笑ってそれが人生、平凡がいい。
:人生いろ色あらァな、それを頑張って乗り越えたら喜びや楽しみが待ってるんやでぇ。
:人生に於いて全ての壁が、自分を高める壁だと前向きに思える人は壁を超えられる。
:ネガティブフィードバックの時こそ、得難い学びのチャンスそのものなのである。
:大切だと思うのは世に名を博した偉い人や大作家とはなるべく謦咳に接することである。
:たった百人の中の、私という自意識や誇りや自尊心や見栄や保身や奢りや愚かさの孤独。
:他人と比較するのは無意味だ理想の自分と比較せよ。何歳でも自分を変える努力をせよ。
:人生のターニングポイントの決断には。やり始める勇気とあきらめる勇気が必要である。 

2012年06月17日

てらけんの「人間の深さ」とは…!?に関する超短い論文^^)。

「人間の深さ」とは!?。(人間を深めるとは…)

つい先だって、「本領発揮は、いよいよこれからです。(^^)」という熱い決意のお言葉を目にし、

今回は「そろそろ新しい段階に入らなければならない…、人間として深めていかなければならない。」

と現在のご心境をご披露された。お話をお聞きいたしました。

そのことに触発されたのか、昨夜は「人間の深さとは」について、色んなことが寝付く迄の頭によぎった。

過去(先人)の偉人達からどのような「人間の深さ」を感じ取ることができるか…?つらつらと思うに。

水上勉、井上靖、開高健、三島由紀夫、太宰治、etc、女流作家、林芙美子、向田邦子、有吉佐和子、etc、

次に、銀幕の世界で活躍した人たち、男優女優はどうだろうか、他にも経済学者や国会議員など様々な業界の

人間で「人間としての深さ」を感じる人物は果たしていたのだろうか、どの人がそうなのか…!?。

その人の生き様は社会貢献度や趣味の巧みさ広さクオリティの高さにおいて、なだらかな山々や立山連峰に、

マッキンリーなど最高峰の山に例えることで、その「人間の高さ」は測り知れるような気がするのだが、

深さを考えると、田沢湖、支笏湖、十和田湖など湖、太平洋、日本海、富山湾のような海の深さを連想する。

湖や海の底、深くて見えないところは、水面のように波風も無く、天候の変化に左右されず水温の変化も少ない、

そのように見え難い「深い」ところで、静かに、穏やかに、紆余曲折が少なく、何事にも動じず、心や精神面や

思考力が優れている人間を「深い」と言えるのではないだろうか…!?。

高さについては目に見えるものであり、深さについては目には見えないが、測り知ることは可能である。

主観的であろうが客観的であろうが、その人間の深さを感じ、あの人間はなかなか「深い」ということの

意味することとは、「深さ」とは、具体的に言うと、どういうことなのだろうか…?

余談になるが、男性と女性と比べると、高さにおいては男性で、深さにおいては女性のような気がする。

身体の局部の仕組みからそのような捉え方をついついしてしまう。

しかしながら、どのような人間が「深い」と感じさせる人間なのか?、明確に結論付けることが難しい。


同じような年代でこの世を去った。石原裕次郎と美空ひばり、開高健と斉城昌美を比較すると「人間の深さ」

を感じるのは…!?、偏見かもしれないが、やはり、女性の方が深いような気がする…^^)。

太宰治、三島由紀夫、宇野千代、山村美紗など、死因によってもその影響が左右されるようにも思う…!?。

真意の「深める」とは逸脱しているが、謎めいたシークレットがその人間の深さを感じさせるようでもある。

見たもの、心で感じたもの、何ごとに対しても、意識的観察力が深さを持つために必要だと言えるのではないか。


辛い、苦しい、悩み、病気、様々な命に関わるような一見不幸な体験も、本物の人間として成長させてくれる。

人間の深さを得るには、人間の弱さ、悲しさ、辛さを、暖かい血の通った心で「考える」力が必要であろう。

その思考力によって、平凡の中から非凡を生み出し、潜在能力から「勘と閃き」が生まれるのである。

「人間として深めていく」こととは、社会的規範や道徳的諸価値以外で、どういうことなのだろうか…!?。


人間一生勉強だと言う、「深めていく」「深めなければ」「深めよう」という発奮材料を課して努力を続けよう。

自分が気付いたことを発言し、その思いを日々反芻しながら、いかにして努力するかが大切なのだと思った!。

重鎮という意味合いで使う場合はさておき「人間の重さ」とは言い難しで、重い人間とは言われたくない^^)。 

短いながらもこれを論文として評価すると何点でしょうか?、40点以下なら赤点で70点以上なら及第点です。


昨夜は実に面白い話だと思ったのだが…、何のことはない、改まって書くと、ぜんぜん面白くない(残念^^)。



(つたない文章を最後まで、読んでいただい方、ありがとうございます。感謝^^)





posted by てらけん at 08:16| Comment(5) | マスターの日記 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
何かをきっかけとして、深く考えることは
成長への一歩だと思います。
terakenさんの文章は読みやすいですよ。
何点と言われると困るけど・・
考えたで賞にしましょう。(笑)

◎ 恵さん、おはようございます。
>考えたで賞にしましょう。(笑)
これ!いただきましたぁ〜ナイスツッコミです^^)。
答えが見つかりませんでした。
>成長への一歩だと思います。
その通りですね、気付かされただけでも嬉しいですね^^)))。。。

Posted by 恵 at 2012年06月17日 20:17
こんにちは。
人生は、貧乏や苦労、悲しみに触れないと深く考えることができませんね(僕みたいな人間は、ですが^^)。
喜びから得るものもありますが....。今日の全米オープン。感動しました。
ジム・フューリックが負け、キャディと何かを語り抱き合ったとき、彼の目の色が深くなった気がしました。
落胆と安堵、そして一緒に戦ったキャディに対するやさしさが交じり合った深い目でした。
フューリックは、目の色が深くなった、その瞬間に人間の深みがましたような気がしたのは、
気のせいかしら〜^^


◎ つよしさん、コメントありがとうございます(真面目に^^)
BTCでも読みましたが、心根が優しくて、自愛に満ちた内容を
素直に感じたままを書き込まれていましたねっ^^)、
熱いイイ男だなぁと、思いました。

フューリクは16番でチーピンを打ってしまい、そのホールをボギーにしてしまいました。
あのショットの事が後のミスを誘発したように、青木さんも羽川さんも幾度か触れてましたが、
ぼくはそういうふうには思ってないんです。
あの、モンスターのような難コースを攻めて、少ないバーディチャンスを決めたい、逃したくない、
フューリクは16番までに、その数少ないバーディチャンスを決めることが出来なかったことの
悔しさで、焦って、攻めに行って、放ったティーショットがあれなんです。
勢いあまって上体に力が入り、アップライトからのループスイングの軌道で振り切る
独特のスイングが膝が止まったために、フックが強く掛かってトラブル、あのチーピンの
ミスショットになってしまったのだと思っています。
プロはバーディチャンスをモノに出来ないことがナーバスになる最大の原因なんです。

観戦が終わって、感じたことは、つよしさんの感性とは相反するようで恐縮ですが…、
ぼくはワンオーバー(+1)で上がって、待っていたら優勝をしてしまった。
ウェブ シンプソンのようになりたい、強運を持った人間の方がいいなぁと思って見ていました。
ドラマチックで感傷的な方より、成功した方を肥やしにしたい。そんな気持ちが強かったです^^)。

人間の深さ、人生ドラマをフューリクから学び取ったつよしさんの気持ちも
100%汲み取れますが…、正直に言って、あのように青木さんも言っていたように、
悲惨で惨めで悔しい思いはしたくありません…、フューリクは過去にも優勝を逃しています。
次の機会でガッチリ優勝し甦るフューリクに期待と願いを送ります。
『敗者から学び、 勝者から開運を貰う』(・o・)/。ヨロシクです。






Posted by つよし at 2012年06月18日 22:05
人間の深さというのも色々な局面で測られるもの。
(1)人よりも深く物事が分析洞察できる、人が
  見落としているものに気付くことが出来る感覚の鋭さ、
(2)自身と異なる意見や価値観も受容出来る心の広さ、
  他への思いやりの深さ、
(3)危急の事態に動揺することのない冷静沈着さと事態に
  対処しての的確迅速な判断ができる決断力、
(4)上3つを支える他者とのコミュニケーション能力、
そういったものの総体として、人間の深さがあるようですが、
これに加えて他者から見て少しばかり推し量る事の出来ない
謎の部分もあることが「深さ」の本質なんでしょうね。
それを「カリスマ性」とも言うのでしょうが、これは上の
3つがバランスよくあって醸し出されるものと言えるでしょうね。
(1)と(3)は尊敬を得る要素であるのに対し、
(2)は敬愛される要素。
一番重要なのは(2)であるでしょうね。
そして(4)がなければ他者の理解はそもそも得られない。
いづれにせよ、そういうものを古来、「徳」と呼んで来たのでしょうが、
それは人格の総体でもあれば、これをすれば「深くなる」という
ものでもなければ、日々精進相努めるしかありませぬな(笑)。

わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね かわくまもなし(二条院讃岐)

にかこつければ、

つとめなば 潮干に見えぬ 沖の石も 推して知らるる ものとなるなれ (後白河院狸)

まあ、深き洞察力とやさしき心根を持ちたきものにて候。



◎ けん家持さん、大変な長文をお書き戴き有難う御座います。
じっくりと、読ませていただきます。
はなはだ簡単ではございますが、これにて返コメとさせて頂きます。

ものの見事に「人間の深さ」についての定義をまとめられましたね^^)。
賛同すると共に、敬意を評して脱帽です。有難うございました(感謝^^)


Posted by けん家持 at 2012年06月19日 16:27
上のコメントに臥した歌の第5句が、間違っていて
意味不明の文になっていることに、再訪して気付きました。

「ものはなくあれ」ではなく「ものとなるなれ」ですな。
訂正して置きます(笑)。

推して知らるる ものとなるなれ
推して知られぬ ものはなくあれ

のいづれかでなくては、ならないですね。

第4句を「推して知らるる」と書いているのに、頭の中では
「推して知られぬ」と書いたものと勘違いして「・・なくあれ」と
二重否定した心算になっていたようです。「浅い」ことでした(笑)。

◎ けん家持さん、ブログを見てくれて、ほんまにありがとうございます。
歌の第5句のことで、めちゃくちゃご丁寧に説明してくれているとは
思うのですが、ぼくにはちんぷんかんぷんです('_')。
とりあえず、前のコメントは修正しておきましたです^^)。


Posted by けん家持 at 2012年06月20日 11:01
下手な自分の歌を解説するのは、おこがましきことでありますが。
元歌の二条院讃岐の歌の意味は「わたしの袖は、潮が引いても海面の
下に沈んでいて見えない沖の石のように、あなたはそうとは知らない
ことでしょうが、涙に濡れて乾く間もないことです。」というもの。
沖の海底の石は人には見えないことを引き合いにして、そのように
あなたも知らないでしょうが、と言っている処が面白いとされる歌であります。
それで、この「沖の石」を小生も使わせて戴き、努力すれば、目には
見えない沖の石も、推し量ることによって見えて来るものだ、
と理屈を言っているのが小生の歌です。
「深い洞察力」を「深い海底の石を推察する力」と表現したまでのことです。
推して知らるる ものとなるなれ・・だと、推量して
知ることが出来るようになる、という意味になり、
推して知られぬ ものはなくあれ・・だと、推量して
知ることの出来ぬものはないであろう、という意味になります。

作者の讃岐は源頼政の娘で二条院(二条天皇)に仕えたので、二条院讃岐と
呼ばれたのですな。この二条天皇は後白河天皇の息子であるので、
小生の歌の方の作者名を「後白河院たぬき」と洒落てみたものです。
蛇足の説明でしたが、ご参考までに(笑)。
なお、囲碁、機会があれば是非お手合わせご教示下さいませ(笑)。


◎ けん家持さん、まことにまことにありがとうございます(大感謝^^)
なるほどと、納得するやら、感心するやら、面白く興味津々です。
「沖の石」の意味することもとてもよく解りました。
「わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね かわくまもなし」
私は、人こそ知らね かわくまもなし で意味深な妄想をしてしまいました(大笑^^)。

Posted by けん家持 at 2012年06月20日 23:55
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