◇ 寺沢憲重の10のラッキー名言 ◇      
:幸福だから笑うわけではない。 むしろ、笑っているから幸福になれるのだと言いたい。       
:笑いのあるところには活気もある。よく笑う人は不機嫌な顔をした人より長生きする。
:叶えるのが夢だけど、叶わなくても夢は夢さ、泣いて笑ってそれが人生、平凡がいい。
:人生いろ色あらァな、それを頑張って乗り越えたら喜びや楽しみが待ってるんやでぇ。
:人生に於いて全ての壁が、自分を高める壁だと前向きに思える人は壁を超えられる。
:ネガティブフィードバックの時こそ、得難い学びのチャンスそのものなのである。
:大切だと思うのは世に名を博した偉い人や大作家とはなるべく謦咳に接することである。
:たった百人の中の、私という自意識や誇りや自尊心や見栄や保身や奢りや愚かさの孤独。
:他人と比較するのは無意味だ理想の自分と比較せよ。何歳でも自分を変える努力をせよ。
:人生のターニングポイントの決断には。やり始める勇気とあきらめる勇気が必要である。 

2011年10月26日

宮本輝:著『ひとたびはポプラに臥す』全6巻より (講談社文庫・2002年刊)

印象的な名文・名言

第1巻より

P7[旅の始まりに]日本の殺伐としたシステムと生活にあって、私たちは多くのものを失いつづけているが、
  「静かに深く考える時間、静かに深く感じる時間」の喪失は、極めて重要な問題だと思う。

P111 この世界は虚偽に満ちています。私利私欲の海のようです。政治の虚偽による災厄を政治家が
  責任をとったことは一度もありませんでした。

P149 〈待つ〉。〈待ってあげる〉。胆力のない現代には、そんなことすらできない。

第2巻より

P27 張掖に、わずかに昔日のおもかげが残っているとすれば、それは〈歴史〉というものの気配によって
  かもしだされる落ち着きのようなものであろう。

P146 「空はない、天だけだと思ってたけど、とんでもない、ここには天もないな」

P214 「天道って何なんやろうなァ。二十年や三十年の単位では、天道のなんたるかは見えないちゅうことかなァ……」

第3巻より

P58 そのロバに乗ったウイグル人の家族たちを見ていると、三好達治の詩が思い浮かんだ。
   ― 静かな眼  平和な心  その外に何の宝が世にあろう。

P186 筆者のホームドクターの後藤氏は、阪大大学院で博士号も取得し、大企業への就職も決まっていたのに、
  27歳で阪大医学部を受験し浪人。筆者も同じ頃、作家を志し、妻子も居るのに、会社を辞め、家に籠もって
  小説を書いていた。28歳の頃、強度のノイローゼで発狂の恐怖の中にあった。5,6年後、二人が再会した時には、
  宮本氏は既に芥川賞・太宰治賞を受賞していた。

第4巻より

P216 焼け野原となった日本を実質的に統治したマッカーサーが極めて重要視したのは、「日本人に道徳教育を
  与えない。」という一点であったのだと、某出版社の役員が教えてくれた。それが何を意味しているかは明らかである。
  中国の文化大革命もしかり。自分を超える優秀な人材を処刑し、精神的衰退を目指し、支配しやすくするため。

第5巻より

P37 「俺は、お前には、何か人より秀でたものがあると思ってきた。…お前に過剰な期待を寄せた。
  …お前はさぞかし重荷だったことだろう。…俺を許してくれ。」亡くなる3ヶ月前の父親のことば。
  筆者は、20歳。雨の中を泣きながら歩いた。

P50 19世紀末〜のハンガリーの詩人、アディ・エンドレの詩「ひとり海辺で」(徳永氏・池田氏訳)
  「海辺、たそがれ、ホテルの小部屋/あの人は行ってしまった/もう会うことはない」

P118 自分はどこへ行くのだろうという不思議なせつなさが、長く長く続いた。

P172 ロシアの作家チェーホフが死ぬ少し前に、かつての恋人に送った手紙の一節。
  「ごきげんよう。なによりも、快活でいらっしゃるように。人生をあまりむずかしく考えてはいけません。
  おそらく、ほんとうはもっとずっと簡単なものでしょうから。」

P236 俺にはできない、俺には無理だ。…実際に小説を書く苦労よりも、そのような恐怖を乗り越えることのほうが、
  はるかに大きな闘いを必要とした。…五行書き、十行書き、二十行書きしているうちに、私の恐怖心は消えて
  いったのだった。「書く」という行為が「書くという恐怖」を消したのだ。

第6巻より

P135 さまざまな障害や難関や自らの壁に懊悩呻吟しながらも、ひとつの事柄を好きで好きでたまらないという
  こと自体が、才能である。並外れて、あることが好きだということが、すでに才能なのだと私は思っている。
  それほどまでに「好き」であることは、もはやその人を成す生命の核のようなところからほとばしり出る何物かで
  あって、その人だけの快楽と同義である。快楽に向かって突き進もうとする力は、誰も止めることができない。

P165 父は、私が大学3年生のときに精神病院で死んだ。脳軟化症→失語症→治療費の不要な病院と紹介され、
  1週間後に危篤。…大部屋の…父のベッドまでの二、三十歩…、それなくして、作家としての私など存在しない。

【大空の亀さまのBLOGページより引用】 ありがとうございます。


本日のおまけ。大変貴重な画像です。(ご提供:テルニストクラブ By SAKUO)

Teru.Miyamoto-3p.jpg










この記事へのコメント
初めまして。
拙ブログへのコメント、ありがとうございました。
私のブログからの引用がこちらにあるのを見つけ、びっくりしました。
ご紹介、ありがとうございます。
熱心な宮本輝ファンがお集まりなんですね。

伊丹と言えば、我が俳句の師、伊丹三樹彦先生が昔、
伊丹で「伊丹文庫」という古本屋をされていました。
いい町ですよね。
私は、毎月、伊丹先生の句会でお近くの塚口まで参ります。
新婚時代、塚口に住んでいましたので、不思議なご縁を感じました。
文化的なことで、いろんな方を知ることができ、幸せです。

HNがterakenことテラケンです。大空の亀さん、誠に恐縮です。
『ひとたびはポプラに臥す』の読後感想のまとめ方に感動しました!。
了解も得ずに勝手に紹介してスミマセンでした。
宮本輝の小説に出会い、色んな人とも出会い、嬉しい限りです…!!。
何にも無い店ですが、機会がございましたら遊びに来てください。
お許しをいただいたので、さっそくTOPページに移動させます。(^^)
読書通の大空の亀さんも、フアンになって楽しみを共有しましょう。


Posted by 大空の亀 at 2011年10月25日 20:29
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