◇ 寺沢憲重の10のラッキー名言 ◇      
:幸福だから笑うわけではない。 むしろ、笑っているから幸福になれるのだと言いたい。       
:笑いのあるところには活気もある。よく笑う人は不機嫌な顔をした人より長生きする。
:叶えるのが夢だけど、叶わなくても夢は夢さ、泣いて笑ってそれが人生、平凡がいい。
:人生いろ色あらァな、それを頑張って乗り越えたら喜びや楽しみが待ってるんやでぇ。
:人生に於いて全ての壁が、自分を高める壁だと前向きに思える人は壁を超えられる。
:ネガティブフィードバックの時こそ、得難い学びのチャンスそのものなのである。
:大切だと思うのは世に名を博した偉い人や大作家とはなるべく謦咳に接することである。
:たった百人の中の、私という自意識や誇りや自尊心や見栄や保身や奢りや愚かさの孤独。
:他人と比較するのは無意味だ理想の自分と比較せよ。何歳でも自分を変える努力をせよ。
:人生のターニングポイントの決断には。やり始める勇気とあきらめる勇気が必要である。 

2011年09月05日

このようなお声は、読みたくなって、嬉しいですよね!!。

読書の秋

1)・「日本人で最高の作家は?」と、質問すると、一昔前までは。判で押したように、
山本周五郎さんという回答だったが、今は、宮本輝さんと答える小説通が多い。
編集者の間では宮本輝さんは「当代随一」と言われているが、自分の読書家としての
立場では、宮本輝さんは、明治維新以降、随一、と、信じて疑わないのだ。

2)・昔から、さりげなく、その相手に合った宮本輝作品を勧めて、感想を聞いて対話するのが
楽しみだった。分かってはいたが、宮本輝作品は、精神病すら、治してしまう効果がある。
かくいう自分も、宮本輝作品に触れなかったら、アル中と鬱で、本当に死ぬところだった。
宮本輝さんの目的は読者をハイヤーパワーに導くことだと思うが、宮本輝さんの場合の
ハイヤーパワーとは、人間そのものなのである。

3)・私は、この宮本輝という作家の作品が大好きだ。大衆に甘えるでもなく、ただ純文学に徹する
でもなく、大衆小説と純文学の曖昧な境目に、腰を据えている、それが、宮本輝だ。
読みやすさと引き込まれるストーリー性を持った宮本輝の作品は、表現力に富むだけではなく、
その真骨頂は、人物と人物との関係性にある。今後も、人と人との対話、そこから生まれる絆や
愛をテーマとし、味わい深い読後感を与える作品を、世の中に見せ付けて欲しいと、切に願う。


一)・読んだ小説をとやかく評論したがる人がいます。こうだからつまらん、自分の意にそぐわないから、
展開に無理があるなど、さも読書家ぶって、全てに精通しているかのような錯覚をしている。
ネット上でにわか評論家になり、上から目線で解説を書いている人がいます。
「あなた何様なの?」と言いたい。結末がこうならいい、あぁならいいと、個人の見解の勝手な感想や評論
は小説を読む人に先入観を植え付ける恐れがあり、邪魔なだけだ。

二)・ご無沙汰しております、てらけんさん、芸術作品は嗜好性があり、一方的な結論付けは好きではありません。
いつも思うのですが何故良いところを見つけられないのでしょうか?不思議です。
同意することで自身がその作品に埋没するとでも考えているのでしょうか?

三)・こんばんは。てらけんさん、ありがとうございます。『海辺の扉』を、おそらく10数年ぶりに本棚の
奥から出しました。「上」の2ページを読んだだけで、心を掻き立てられました。これほど魅力的な文章に
惹きつけられない人に、輝さんをとやかく言ってほしくないですね。わからないなら黙っていろ、と思います。

書評にたいしての考察!

こうだからつまらない、こう終わってほしかったなどの書評は。参考になるとか、ならないの問題ではなく、

その個人の主観や価値観やものの見方や思惑の違い…、勝手な言い分を書いてあるだけなのです。

個人の感性や屁理屈による書評に何ら感化されることなく、理論ぶらず純粋に素直に読みましょう。

 
※ 流転の海の第六部『慈雨の音』絶賛!発売中!!。 

ラベル:宮本輝
posted by てらけん at 18:05| Comment(1) | TrackBack(0) | マスターの日記 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
昨日、「約束の冬」のあとがきを読みました。
そこには「民度の低下」ということが書いてありました。
日本人は人の悪いところをつつきまわすような民族じゃなかったと思うんです。
でも現代は自分中心で人のことなど、どうでもいいという人が
増えてきて、いろんな分野にわたってそれが反映されていると思います。
自分の考えをしっかり持っている人は書評になど、
左右されないだろうし、糧としていくと思います。


てらけんより雑草さんへ。いつも、コメントありがとうございます。
「民度の低下」のことを書かれてましたね。その意味にあてはまるかどうか
判りませんが、ぼくは昔の大人の格好良さに憧れを抱いたりしたものです。
桂二郎はそのような大人の雰囲気を出していたのではないでしょうか…?

何事にも賛否はあるのが当然ですが、小説をとやかくいうのは許せません。
内輪で語り合うのは構いませんが…。公に発表するのは言論や表現の自由と、
倫理の逸脱を判ってない人ではないでしょうか…!?迷惑なだけですもん。
Posted by 雑草 at 2011年09月06日 10:16
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