伊丹駅ビルにある文学館に行ってきました。
宮本輝の新刊『慈雨の音』が、もう既に、発売され本屋さんに並んでいるという情報をBTCで知った。
伊丹の本屋さんも平積みされているのか、チョッと気になり、デジカメを持って確かめに行ってきました。
で、でも!三冊だけでした。レジに行って、売れてしまったのか?訊こうと思い行きかけたのですが、まてよ、
なんか!?欲しい本はないものかと、文芸単行本コーナーの宮本輝名札の棚へ、見つけたのは!な、な、なんと!
宮本輝全短篇の上と下でした。帯には円の中に祝紫綬褒章受章と印刷されています。
上の方は今まで読んだ短篇とダブるので、下の方を選びました。解説の最後の九行がとても深イイんです。
刊行によせて、を読んだだけで、本書を胸で抱きしめたくなりました。366p~367P 二〇〇七年九月十日宮本輝
(オッサンが、本を両手で胸に抱えて店内の通路を歩いていたら、変な人って思われるわよねぇ)
宮本輝全短篇の下を、さくちゃん、一朗さん、手に入れましたよ。 それを片手で持って…。
レジの女の子は背が高くてスマートで京都風の美人で和の雰囲気をかもし出していました。(どうでもいいって、ハイ)
「あの〜(こんなときによく使う便利な言葉です。)新刊のコーナーの、あの〜『慈雨の音』…」「あっ、はい」と(返事が)
「宮本輝の『慈雨の音』…」「あっ、地元の方ですね」(おっ知ってた!)「三冊しか残ってませんが、売れたんですか」
「あっ、出ましたねぇ、評判いいです〜」(声小っちゃ、何冊ぐらいと聞く訳にも行かず、頷き返し)「そうですか(笑み)」
文学館を入った正面に『三十光年の星たち』上下が山積みされ、その手前に、『慈雨の音』があった。文庫本コーナーも。

『慈雨の音』をすぐにでも手にしたかったのですが、Amazonで予約注文をしていたので、我慢しました。

宮本輝全短篇の下 (宝ものが増えました) これからじっくりと読むのが楽しみです。(ウッシィシィシィ〜)
宮本輝の新刊『慈雨の音』が、もう既に、発売され本屋さんに並んでいるという情報をBTCで知った。
伊丹の本屋さんも平積みされているのか、チョッと気になり、デジカメを持って確かめに行ってきました。
で、でも!三冊だけでした。レジに行って、売れてしまったのか?訊こうと思い行きかけたのですが、まてよ、
なんか!?欲しい本はないものかと、文芸単行本コーナーの宮本輝名札の棚へ、見つけたのは!な、な、なんと!
宮本輝全短篇の上と下でした。帯には円の中に祝紫綬褒章受章と印刷されています。
上の方は今まで読んだ短篇とダブるので、下の方を選びました。解説の最後の九行がとても深イイんです。
刊行によせて、を読んだだけで、本書を胸で抱きしめたくなりました。366p~367P 二〇〇七年九月十日宮本輝
(オッサンが、本を両手で胸に抱えて店内の通路を歩いていたら、変な人って思われるわよねぇ)
宮本輝全短篇の下を、さくちゃん、一朗さん、手に入れましたよ。 それを片手で持って…。
レジの女の子は背が高くてスマートで京都風の美人で和の雰囲気をかもし出していました。(どうでもいいって、ハイ)
「あの〜(こんなときによく使う便利な言葉です。)新刊のコーナーの、あの〜『慈雨の音』…」「あっ、はい」と(返事が)
「宮本輝の『慈雨の音』…」「あっ、地元の方ですね」(おっ知ってた!)「三冊しか残ってませんが、売れたんですか」
「あっ、出ましたねぇ、評判いいです〜」(声小っちゃ、何冊ぐらいと聞く訳にも行かず、頷き返し)「そうですか(笑み)」
文学館を入った正面に『三十光年の星たち』上下が山積みされ、その手前に、『慈雨の音』があった。文庫本コーナーも。
『慈雨の音』をすぐにでも手にしたかったのですが、Amazonで予約注文をしていたので、我慢しました。
宮本輝全短篇の下 (宝ものが増えました) これからじっくりと読むのが楽しみです。(ウッシィシィシィ〜)
『道に舞う』…短編の中で一番好きな作品です。
読み終えた時に、見た事のない壮大な風景が広がりますよ!
そこに一人で立って遠くを見つめている感じになるんです。
すごい作品だと思います。
私は○○○○色の風景だったのですけど…
テラケンさんは何色でしょうね。
再読の楽しみとは違う、初めて作品と向き合われている
テラケンさんの気持ち…わくわく感!…ん!!わかります。
輝先生の作品は…永遠に心に残る宝物ですね。
テラケンより小春さんへ。
「あの〜」は言い方次第で、使い分けができて
とても便利です。「あの〜『道に舞う』は全短編の
なかにあるんですね!。何色になるか楽しみです」。
輝先生の小説は水のように吸収され、水のように溶け、
読者の体の中で血となり、生きる力になって行くんです。
死の恐怖や人が死ぬことに対する様々な経験から活字と
なって出てくる。その活字の一字一句が色んな水のかたち
となって、幸せの水や、命の水、元気の源の水に成ったりする。
時には恐ろしい水害や死を招くような水になったりもするが…。
輝先生が一滴一滴づつ注がれた水によって、読んだ人は何かを
得て人生の糧となっていることは確かだと思っています。
同じ本を読み、感動を共有し、語れることがよろこびです。
>輝先生の作品は…永遠に心に残る宝物ですね。そうですね!。
宝物が増えました。子供の頃のようにワクワクしてます。