◇ 寺沢憲重の10のラッキー名言 ◇      
:幸福だから笑うわけではない。 むしろ、笑っているから幸福になれるのだと言いたい。       
:笑いのあるところには活気もある。よく笑う人は不機嫌な顔をした人より長生きする。
:叶えるのが夢だけど、叶わなくても夢は夢さ、泣いて笑ってそれが人生、平凡がいい。
:人生いろ色あらァな、それを頑張って乗り越えたら喜びや楽しみが待ってるんやでぇ。
:人生に於いて全ての壁が、自分を高める壁だと前向きに思える人は壁を超えられる。
:ネガティブフィードバックの時こそ、得難い学びのチャンスそのものなのである。
:大切だと思うのは世に名を博した偉い人や大作家とはなるべく謦咳に接することである。
:たった百人の中の、私という自意識や誇りや自尊心や見栄や保身や奢りや愚かさの孤独。
:他人と比較するのは無意味だ理想の自分と比較せよ。何歳でも自分を変える努力をせよ。
:人生のターニングポイントの決断には。やり始める勇気とあきらめる勇気が必要である。 

2011年08月17日

意義のある人生について考えて見ました。

意義のある人生を考え…勉強で〜す!!。

宮本輝:著『約束の冬』下巻の第七章から。
留美子は「人生をもっと大きく据えて生きなければいけない」という小巻の言葉の意味を
自分に即して考えてみた。そんな私が、「人生をもっと大きく据えて生きる」には、自分の
中の何かを変えなければならないのではないか…。

読んでいる私もそのことについて考えた。なにをどうすればいいのか?皆目わからない?
意義ある人生とは? 大きく据えて生きる人生とは?何にも考え付かない、思考停止中!?。


人生の意義(じんせいのいぎ、人生の意味とも、英:Meaning of life)とは、
人生において目的や意味とはあるのか、あるとすればそれはいかなるものなのかという
問いである。自然な日本語では「人生の意義」などとは表現せず、むしろ「生きがい」
という表現のほうが定着している。


【五木寛之の見解】

五木寛之は著書『人生の目的』の「あとがきにかえて」でその見解を示している。

人生の目的は、『自分の人生の目的』をさがすことである。自分ひとりの目的、
世界中の誰ともちがう自分だけの『生きる意味』を見出すことである。
変な言い方だが、『自分の人生の目的を見つけるのが、人生の目的である』と
いってもいい。私はそう思う。そのためには、いき続けなくてはならない。
いき続けていてこそ、目的も明らかになるのである。
『われあり ゆえにわれ求む』というのが私の立場だ。(...)

自分だけの人生の目的をつくりだす。それは、ひとつの物語をつくるということだ。
自分で物語をつくり、それを信じて生きる。
しかし、これはなかなかむずかしいことである。そこで自分でつくった物語ではなく、
共感できる人々がつくった物語を『信じる』という道もある。
<悟り>という物語。<来世>という物語、<浄土>という物語。<再生>という物語。
<輪廻>という物語。それぞれ偉大な物語だ。人が全身で信じた物語は、真実となる。


【人生の意義についての論文】

「自分の存在は何かのため、またはだれかのために必要であるか」という問いに
肯定的に答えられれば、それだけでも充分生きがいをみとめる、という人は多い。
老年期の悲哀の大きな部分はこの問いに充分確信をもって答えられなくなることにあろう。
よって老人に生きがい感を与えるには、老人にできる何らかの役割を分担してもらうほうが
よい。また、愛情の関係としても老人の存在がこちらにとって必要なのだ、と感じてもらう
ことが大切である。

この問いは、経済的に豊かな国でほど切実な問題となってくる傾向がある。経済的・物質的に
豊かな国の人々ほど、ひどい「空虚感」や「心のむなしさ」にさいなまれている人の数が
増える傾向がある。アブラハム・マズローは人間は基本的欲求のすべてを満たして、
ようやく「自己実現の欲求」といった高次欲求にかられ始める、と言っているが、
「豊かな社会」は基本的欲求を満たしやすい社会なので、高次の欲求が発現しやすく、
それが満たされない苦しみにさいなまれやすいという面がある、と言う。

人生において、このような命題が人の心を捉える時期は3つある、とも言われる。思春期、
中年期および老年期である。思春期を経た者の多くは、その段階なりの解答を持つ。
中年期にもこのような問いが心を捉えることがある。
これは「中年期の危機(en:Mid-life crisis)」などとも呼ばれる。深層心理学者のユングが
このような中年期の危機の問題に早くから関心を抱いた。

傍から見ると特に何の問題もない人で、むしろ財産・地位・家族などについては恵まれた
状態の人に、このような問いで悩む人が多くいる。若いころに、「財産・地位・家族などを
手に入れれば幸福になれるに違いない」と思い込み、ひたすら頑張ってきたのに、いざそれらを
手に入れてみると、まったく幸福という実感が無く、自分の人生に「大切な何か」が欠けている、
という気がして仕方なくなり、「人生のむなしさ」を痛感する人が多いのである。
この段階で、あらためて「残された人生で、私は何をすることを求められているのだろう?」
「自分の人生を意味あるものにするためには、今後どう生きてゆけばいいのだろう?」という
問いに真正面から向き合うことになるのであり、そして老年期にも、このような問いが心を
とらえることがある、と言える。     (参照:Wikipedia)

(人生この先まだまだ長い、あまり、思い詰めずに、いつか自分に適した答えを見つけることにしよう!)。



posted by てらけん at 07:01| Comment(4) | TrackBack(0) | マスターの日記 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
自分の人生、自分で歩く
これは日常と非日常の繰り返しで
試練を経て、人生の山を登っていくんだと思います。
私も難しく考えることもありますが、日々の暮らしを
充実させることが一番じゃないかなと思えます。
若いころは肩を突っ張って生きてきててもこれぐらいの
年齢になってくると休憩も必要なことだと思います。
本を読んで、考えることができるのは幸せな時間ですね。

Posted by 雑草 at 2011年08月17日 21:12
てらけんより雑草さんへ。
最近、ふと!?このままでは何にも残らんなぁ
みたいなことを考えたりして…、それで意義の
ある人生って何だろうと?思って調べたものを
忘れないようにと、ブログの更新記事にしました。
毎日元気で充実させる。この継続が一番ですよね!!

でも、男として何にも残らない仕事って、せいがないなぁと
感じてしまうんですよねぇ、何か形かもので残したい!?。
この世に生きた証になるようなものを…、なんてね!!

Posted by teraken at 2011年08月18日 07:28
>何か形かもので残したい!?。

市井の人たちは作家の方のように作品を残すことはないし、私の場合、
形あるものを残して、それが子供たちの負担になるのではないかなと
考えたり。(手芸品とかどうするだろう・・・)
子孫を残して、自分の学んできたことなどを継承するということも
見えないかもしれないけど大事なことだと思うんです。
私は音楽をしてきましたが、それを子供たちに小さいころから楽しく
音楽をさせてきました。長男はお経に。次男はダンスのリズムに。
長女は英語力に・・と耳のよさを発揮してくれています。
それは私が子供たちに残したものといえるのではないかなと思うんです。
そしてそれを孫に・・孫がひ孫に・・と伝えれば、私の生きた意味はあるなぁと・・
阪神淡路の震災以来、考え方が変化しました。
そしてまた、このたびの地震で生きる意味を深く考えることもあります。
でも毎日の積み重ねなんですよね。自分が充実してたと思う日ならば、
それがいい日になりいい人生になるんだと思うんです。
あぁ、いっぱいお話したいです。

Posted by 雑草 at 2011年08月18日 10:35
てらけんより雑草さんへ。
アンポンタンで、楽天家で居たいぼくとしては、
あまり難しい話は得意ではないのですが…。
さして悩む事も無く、なるようにしかならんと
たかをくくってはいるのですが、何かとあらぬ事を
考えたりするんです。良い話しをありがとうね!。
Posted by teraken at 2011年08月18日 13:09
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