◇ 寺沢憲重の10のラッキー名言 ◇      
:幸福だから笑うわけではない。 むしろ、笑っているから幸福になれるのだと言いたい。       
:笑いのあるところには活気もある。よく笑う人は不機嫌な顔をした人より長生きする。
:叶えるのが夢だけど、叶わなくても夢は夢さ、泣いて笑ってそれが人生、平凡がいい。
:人生いろ色あらァな、それを頑張って乗り越えたら喜びや楽しみが待ってるんやでぇ。
:人生に於いて全ての壁が、自分を高める壁だと前向きに思える人は壁を超えられる。
:ネガティブフィードバックの時こそ、得難い学びのチャンスそのものなのである。
:大切だと思うのは世に名を博した偉い人や大作家とはなるべく謦咳に接することである。
:たった百人の中の、私という自意識や誇りや自尊心や見栄や保身や奢りや愚かさの孤独。
:他人と比較するのは無意味だ理想の自分と比較せよ。何歳でも自分を変える努力をせよ。
:人生のターニングポイントの決断には。やり始める勇気とあきらめる勇気が必要である。 

2011年03月02日

お客さんから聞いたトンボの話を調べた。

蜻蛉が勝ち虫と呼ばれる由来!

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トンボは勝ち虫とよばれ縁起物であり、前にしか進まず退かないところから、
「不転退(退くに転ぜず、決して退却をしない)」の精神を表すものとして、
特に武士に喜ばれた。 戦国時代には兜や鎧、箙(えびら)刀の鍔(つば)
などの武具、陣羽織や印籠の装飾に用いられた。
とんぼ柄は現在も風呂敷に、剣道具や竹刀袋の柄として用いられることが多い。

トンボを勝ち虫とする由来は雄略天皇が狩に出かけた際に詠んだ歌。

〔み吉野の 袁牟漏が嶽に 猪鹿伏すと 誰ぞ 大前に奏す やすみしし
 我が大君の 猪鹿待つと 呉座にいまし 白たへの 衣手着そなふ 
 手腓に 虻かきつき その虻を 蜻蛉早咋ひ かくの如 名に負はむと
 そらみつ  倭の国を 蜻蛉島とふ(古事記)〕が元になっている。

素早く飛び回り害虫を捕食し、前進するのみで後退しない攻撃的な姿からともいわれる。

詠んだ歌の翻訳です。

吉野の小牟婁(おむろ)の岳に、獣が隠れていると、俺の大前に申す者は誰だ。
そこで大王である俺様は狩に出かけ、獲物が現れるのを待とうと、
呉座にお座りになっていた。
すると、白い袖で覆われた腕の筋肉に、虻が食いついた。
その虻を、蜻蛉がさっと来て食った。
こんなふうに、蜻蛉が自分の名を立てようと俺に奉仕してくれた、
だから大和の国を蜻蛉(あきつ)島と言うのだ。

というものです。これが「蜻蛉=勝虫」の由来になるのですが、
これはつまり雄略天皇が戦に出たとき蜻蛉に窮地を救われたことを暗示する歌です。 
蜻蛉が何者なのか?は不明ですが、その事を喜んだ雄略天皇は秋津国を与えます。
その戦勝の故事からちなんだものです。

ちなみに、トンボは害虫を食べる肉食性の昆虫ですので、五穀豊穣を
願ったものであるともされていますが、古代の銅剣の紋様なのにも
使われていることから、戦説の方が強いと思われます。

この勝ち虫(トンボ)を陶芸作品にデザインする。あるいはモチーフに
する陶芸作家が居ると言う話から、勝ち虫の由来を知る事が出来ました。


 
ラベル:蜻蛉 勝ち虫
posted by てらけん at 20:46| Comment(0) | TrackBack(0) | マスターの日記 | 更新情報をチェックする
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