◇ 寺沢憲重の10のラッキー名言 ◇      
:幸福だから笑うわけではない。 むしろ、笑っているから幸福になれるのだと言いたい。       
:笑いのあるところには活気もある。よく笑う人は不機嫌な顔をした人より長生きする。
:叶えるのが夢だけど、叶わなくても夢は夢さ、泣いて笑ってそれが人生、平凡がいい。
:人生いろ色あらァな、それを頑張って乗り越えたら喜びや楽しみが待ってるんやでぇ。
:人生に於いて全ての壁が、自分を高める壁だと前向きに思える人は壁を超えられる。
:ネガティブフィードバックの時こそ、得難い学びのチャンスそのものなのである。
:大切だと思うのは世に名を博した偉い人や大作家とはなるべく謦咳に接することである。
:たった百人の中の、私という自意識や誇りや自尊心や見栄や保身や奢りや愚かさの孤独。
:他人と比較するのは無意味だ理想の自分と比較せよ。何歳でも自分を変える努力をせよ。
:人生のターニングポイントの決断には。やり始める勇気とあきらめる勇気が必要である。 

2019年11月29日

てらけんの自画撮り二枚!。

  
     2019 

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     運命の流れの中で.rtf縦書: 寺沢憲重


     運命の流れの中で.rtf横書: 寺沢憲重





posted by てらけん at 18:12| Comment(0) | 青い屋根だより | 更新情報をチェックする

2019年11月27日

てらけんこと「寺沢憲重」の短編小説!『歌碑のある小さな島』


 偶然にも!、読売新聞に七尾市の「机島」の紹介記事が・・・!。

  てらけんが書いた短編小説と重なりご縁を感じました!。

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   クリックすると拡大し読みやすくなります。



 『歌碑のある小さな島』 

 野中信嗣様の感想文を添えて、野中様ありがとうございました!。


 こちらは縦書きの⇨『歌碑のある小さな島』です。

 
     『歌碑のある小さな島』      寺沢憲重

  石倉和男(いしくらかずお)の仕事はフリーのライターである。
 仕事の内容は記事を書くために必要となる情報をリサーチしたり、
 執筆に必要な取材を行ったり、資料を収集し、書く目的と誰に読
 ませるかを考えた上で、その内容を記事にまとめて執筆する。
 記事が書きあがったら、依頼者のチェックを受け必要に応じて文章
 を修正しOKが出たら仕事の完成である。
  此のごろ、雑誌、書籍、Web、フリーペーパーなどからの仕事の
 依頼がこなくて、その日は、暇潰しにネットサーフィンをしていた。

 ――新元号「令和」の考案者は、文化勲章受章者で国際日本文化研
 究センター名誉教授の中西進氏(八十九)との見方が一日、専門家
 の間で浮上した。中西氏は共同通信の取材に、当初は明言を避けて
 いたが、公表が近づいた三月上旬になって「私は関係していない」
 と否定している。
  中西氏は東大大学院修了。万葉集が専門で大阪女子大学長や京都
 市立芸大学長などを歴任した。二千十三年に文化勲章を受章。
 著書に「万葉集の比較文学的研究」「日本文学と漢詩」などがあり、
 日本古典と中国古典双方に詳しいとして研究者の間で評価が高い
 ―― と書かれている共同通信のページを見た。

  記事に掲載されている顔写真を見て、富山市にある高志の国文学
 館に訪れた時にお見かけした中西進館長! だと直ぐに気づいた。
  そっかぁ! 中西進氏は万葉集の大家だったのか、あの時にツー
 ショット写真を撮って握手でもさせて貰えば良かったと後悔した。
  万葉集は中学の国語の教科書で習ったが、さして興味はなかった
 のに俄然興味が湧き、ネットで〈万葉集〉と検索してみた。
  いくつか表記されたうちの、フリー百科事典『ウィキペディア
 (Wikipedia)』によると、――
  『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集)は、奈良時代末期に成立
 したとみられる日本に現存する最古の和歌集である。(省略)全二
 十巻四千五百首以上の和歌が収められており、三つのジャンルに分
 かれる。「雑歌」宴や旅行の歌、「相聞歌」男女の恋の歌、「挽歌」
 人の死に関する歌。と、書かれてあった。
 「全二十巻四千五百首以上もあるのか!」
  今更ながら石倉和男は凄いと思い驚いた。
 スクロールをして下の項目を読んで見ると、――
 『万葉集』の成立に関しては詳しくわかっておらず、(省略)現在
 では家持編纂説が最有力である。ただ、『万葉集』は一人の編者
 によってまとめられたのではなく、巻によって編者が異なるが、家
 持の手によって二十巻に最終的にまとめられたとするのが妥当とさ
 れている。――と、書かれてあった。
 「大伴家持なら聞いたことがあるぞ!」
 と、一瞬思ったものの何も知らないことに気づいた石倉は、Google
 の検索ボックスに、〈万葉集 大伴家持〉と入力した。
  すると、大伴家持と万葉集・高岡市万葉歴史館・大伴家持が来た
 越の国…が表示された。
 クリックしてページを開き、歌人としての大伴家持の来歴を読むこ
 とができた。
 「そう言えば、高岡市に取材に行った時に、高岡駅北口前広場で大
 伴家持の像を見たな」
  と石倉は家持の像のことを思い出した。
 仕事柄リサーチ癖が出て、持ち前の探究心に火がついた。万葉集の
 和歌の数や全巻の構成や歴史や意味などを調べて読みまくった。
  万葉集の中で大伴家持の歌が四百七十三首と最も多いことを知り
 大伴家持のことをもっと知りたくなり経歴をネットで調べた。
  大伴家持は、天平十八年(七百四十六)六月に越中の国守として、
 今の富山県全域と石川県能登地方に約五年間在任していたときに、
 越中万葉歌三百三十首と越中国の歌四首、能登国の歌三首を詠んだ
 ことが解った。

  石倉の探究心がなおも止まらなくなった。
 検索ボックスに〈大伴家持能登〉と入力した。
  ――すると七尾市のホームページが見つかった。
 机島・周囲1.3km、岩盤は3mくらい島上に同じ高さの松が一面に生え
 繁り、あたかも緑の蓋をしたようで、和倉から海上2.2km種ヶ島と共
 に望観される。昔、大友家持が訪れて歌を詠じ、畠山氏が連歌の宗匠
 を招いて遊宴を張ったとの言い伝えあり。島内に硯石という清泉が
 あり、水が絶えないとのことである。

  香島嶺(かしまね)の机の島のしただみをい拾(ひろ)ひ持ち来
 て石もちつつき破り早川(はやかわ)に洗い濯(すす)ぎ辛塩(か
 らしお)にこごと揉み高杯に盛り机に立てて母にまつりつや愛(め)
 づ児の刀児(とじ)父にまつりつやみ愛(め)づ児の刀自

 【口語訳】香島山の近くの机島の海岸からしただみを拾って持って
 きて、石で殻をつつき破り流れの速い川で洗い清めてから辛い塩で
 ごしごしもんで足の高い器に盛り付けそれを机の上に立ててうやう
 やしく供えかあさまに差上げたいかわいいおかみさんとうさまにさ
 しあげたい愛くるしいおかみさん
  ――と、七尾市のホームページに書かれていた。

  次に〈机島のしただみ〉ってなんだろう? 
 と調べていくうちに、――
 「万葉の風土」を始め万葉に関する多くの著書を執筆し「万葉風土
 学」を確立した東大文学博士で万葉集研究に生涯をかけ万葉故地を
 すべて訪れ、日本全国の万葉故地に所縁の万葉歌を揮毫(きごう)
 した「万葉歌碑」を建立し、万葉故地をまもる活動に奔走した犬養
 孝を知った。
  その犬養孝先生と奥様が昭和四十四年に机島に渡り、ゴザを広げ
 てお茶をたて、金沢市の『長生殿』という和菓子を食べ、松の木の
 下で咲きゆれている薄紫のハマダイコンの花をながめ、小鳥の声を
 聴きながら昼寝をした。
 奥様が「あのときはとても楽しかった」と言ったという記述を目に
 した。
  また、昭和四十九年に能登に講演に出かけた折に、奈良薬師寺の
 管長高田好胤さんと、作曲家の黛敏郎さんと犬養孝さんが一緒に加
 賀屋に泊まり、翌日机島に渡り、ここに歌碑を建てましょうという
 話が持ち上がった。
  その話が進み、翌五十年十月十二日、机島に歌碑が建立され、作
 曲家の黛敏郎に薬師寺の管長高田好胤が除幕式に出席していた。
 除幕式のときに、亡き妻と来た時のことを思い出し犬養先生は慟哭
 したという。
  机島に万葉集の歌碑があることを知り、石倉のライター魂が益々
 燃え、七尾湾西に浮かぶ机島に行きたくてたまらなくなった。――

  ――そして翌日のお昼過ぎ頃、
 「もしもし、ナオちゃん」――
 「はいは〜い、カズちゃんどうしたの」
 「仕事はどう今忙しい?」
 「それが暇なのよ、依頼が来なくて」
 「じゃぁ、週末はカラダ空いてる」
 「空いてるわよ、どうするの?」
  石倉和男がナオちゃんと呼んでいる彼女は、仲間を集め親睦を深
 める「コンパ」で知り合った「西本尚美(にしもとなおみ)」で、
 LOVE進行中だった。
  西本尚美も石倉和男と同じような内容の仕事でルポライターをし
 ている。――
 「一泊旅行に付き合って欲しいんだよ」
 「えぇ! 一泊旅行って、どこいくの?」
 「題して『万葉紀行の旅』だよ。うまく行ったら雑誌社に売り込も
 うと思ってるんだ」
 「だからさ、どこへ行くのかを聞いてるの」
 「石川県だよ。能登半島の七尾湾西に浮かぶ小さな島に行くんだ。
 机島という無人島さ」
 「えぇ〜、能登半島に行くの、ぜひ連れてってぇ、一度は能登半島
 に行きたかったのよ、三十六年連続日本一に選ばれた老舗旅館の
 『加賀屋』に泊まってみたいの〜」
  電話の向こうでノリノリの声が聞こえた。
 「じゃ、OKだね! 決まりということで、『加賀屋』にオンライ
 ン予約をしておくよ」
 「はぁ〜い、旅行プランはどうなってるの」
 「東京駅から北陸新幹線(かがやき)に乗って金沢駅へ、金沢駅か
 ら和倉温泉駅行きの直通の特急(かがり火)に乗り換えて和倉温泉
 駅へ、和倉温泉駅に着いたら送迎バスで加賀屋に到着。翌日レンタ
 カーを借りて行動しようと考えてるんだけど、よく考えて、詳しい
 ことが決まったら、金曜日の夜までに伝えるからね、楽しみにして
 待ってて下さい」
 「はい、はぁ〜い、了解でぇ〜す」

  土曜日の朝、目が覚めると石倉和男は前日から支度をしておいた
 リュックを担ぎマンションを出ると、ナオちゃんの携帯に電話を入
 れ、東京駅の待ち合わせ場所に向かった。
  北陸新幹線乗り換え改札口の階段の前に蛍光色が光っていて緑色
 の看板に新幹線のイラストが描かれ、南のりかえ口と書かれた大き
 な案内版の横で西本尚美は立っていた。
 「ナオちゃん、お待たせ〜待ったぁ」
 「うううん、わたしも今ついたとこよ」
 「ホームで買える駅弁もいいけどさ、出発まで時間が十分あるから
 さ、地下にあるグランスタに行ってお弁当を買おうよ」
  二人は、エスカレーターに乗って地下に降りた。あれがいいこれ
 がいいと迷ったが、浅草今半の「重ねすき焼き弁当」を買った。 
  十一時四十八分発のかがやき527号金沢着十四時二十五分に乗
 った。お弁当を食べお茶を飲み、なんだかんだ喋っているうちに金
 沢に着いた。
 石倉は日帰りも当たり前の時代なんだと改めて実感した。
 「わあぁ〜綺麗! 立山連峰! わぁ素敵!あぁ〜トンネルだぁ〜
 またトンネルだぁ〜」
  と西本尚美はトンネルを出るたびに、外の景色を眺め一喜一憂し、
 はしゃいでいた。
  金沢駅から十五時発のかがり火にのり和倉温泉駅に十五時五十八
 分に着いた。マイクロバスの送迎車に乗って加賀屋につきチェック
 インを済ますと部屋に案内された。
  西本尚美は送迎バスがついてからの仲居さんスタッフが並んでの
 お出迎えに感激し、テンションが一気に上がっていた。
  石倉は部屋に案内した仲居さんに尋ねた。
 「仲居さん、僕たち明日、机島に行くんですが、何処へ行けば渡れ
 るか知りませんか?」
 「机島ですか! ちょっと待って下さいね」
  しばらくすると仲居さんがお茶とお菓子をお盆に乗せて部屋に戻
 って来た。
 「あのぉ、聞いて来たんですけども」――
 と言って、二つに折った紙を石倉に渡した。
  二つに折られた紙を広げると、中島町瀬嵐と書かれていた。メモ
 を見ている石倉に、――
 「そこへ行けば、何とかなると言ってました」
  と、明確でないことに恐縮そうに言った。
 「――どうもありがとうございます」
  仲居さんが立ち去ったあと、お茶を飲みお菓子を食べ、そのあと、
 荷物は部屋に置き、海に面したラウンジで珈琲タイムをした。
 尚美はラウンジから海を眺め「いいわぁ〜」
 輪島塗の天女の舞を見て「うわ〜素敵〜」
 館内の装飾や美術品を見て「わぁ凄〜い」
  とテンションが上がりっぱなしだった。
 「ナオちゃん、夕食まで時間があるから、ぶらぶらと歩いて、その
 辺を散策しようか」
 「それがいいわねっ、そうしましょう」
  二人は玄関を出ると手を繋いで歩き出した。門を出ると右に行く
 左に行く、どっちにすると言って、尚美は石倉のひだり腕を抱え石
 倉の肩に頬を寄せじゃれ合うようにし、旅先での高揚感を味わうか
 のような仕草で石倉のひだり腕を引っ張り左手に歩きだした。
  加賀屋を出てわずか1分ほどで、松に囲まれた「弁天崎源泉公園」
 があった。
 「こんな近くに私好みのいい散歩道があるじゃない、あらっ! 説
 明版があるわぁ〜」
  石倉は説明文を読み始めた。なになに、
 ――ある日、ある夫婦が亀岩のそばからブクブクと海が泡だってい
 るのを発見しました。亀岩はお化けガメと呼ばれ、亀岩の近くの海
 に落ちると体が浮かばないと村人たちから恐れられていたため、泡
 はお化けガメの呼吸ではないかと噂されました。
  しかしある時、夫婦が一羽の白鷺が傷ついた足を海に入れ、その
 後元気に飛んでいったのを不思議に思って、海に手を入れ、お湯が
 沸いていることを発見したと伝えられています。と書いてあった。
 「シラサギがここで足の怪我を治したのね、 歴史深い温泉がある
 公園なのねっ」
 「何だかいろいろあるねぇ、ナオちゃん、あそこ、人より背の高い
 句碑が立ってるよ」
 「家持の妻恋舟か春の海」と彫られていた。 
 説明版には俳人高浜虚子が昭和二十四年に和倉に来り、「家持の妻
 恋舟か春の海」と追憶して現実の和倉の海を賞しました。
  と書いてあった。
 「カズちゃん、あそこから、海を見ようよ」
  ふたりは公園を出て右方向のタイルが張ってある道を歩き、海に
 突き出たコンクリートの波止の先に立ち美しい七尾湾を眺めた。
 「カズちゃん、ここは本当に海なの、湖みたい、ほら!綺麗な曲線
 の橋が見えるわぁ」
 「ほんとだ!ネットで見た能登島大橋だと思う。それにしてもこの
 海は波が穏やかだね」
  ふたりは潮の香りを感じながら雄大な景色を眺め、肩を寄せ合い
 積もる話をしていた。
 「ナオちゃん、そろそろ加賀屋に戻ろうか」
 加賀屋の美味しいワインと夕食を食べ、露天風呂からまた海を眺め、
 オーシャンビューの部屋からまた夜の海を眺め、思い出に残る熱い
 一夜を共に過ごし、目覚めてまた心安らぐ静かな七尾湾の海を眺め
 た。
  朝食を済ませ九時にチェックアウトして送迎バスで和倉温泉駅に
 向かった。駅に着くと駅前レンタカー会社の受付に向かった。
 「六時間じゃ短いから、十二時間まで借りて、その料金ですか!
 それにサポートプランをつけると、そうですか、じゃそれで」
  早々と車種を決め、レンタカーの手続きを済ませると、尚美を助
 手席に乗せカーナビに〈中島町瀬嵐〉と入力して出発した。
 「よし、これで机島に行けるだろう」
 「まぁ、アバウトね、わくわくするけど」
  和倉を出るとベタ凪の海を右に見ながら七尾湾西周回道路にレン
 タカーを走らせた。道路は二車線で七尾湾に一番近い海沿いに車を
 走らせた。海沿いには低い松が途切れ途切れに生えていて、反対側
 は青々とした稲田が続き、山裾には黒い屋根の家々が見えた。
 「――熊木川、能登中島大橋だって」
 海の方を見ると、養殖イカダや浮きのような物が無数に見え、その
 先に海に緑の蓋をしたような細長い島と横に小さな島が見えた。
 「あれだよきっと、机島は、ネットで熊木を詠んだ句を見たような
 気がするなぁ」――
  尚美はすぐにスマホでググった。
 「あったわよ、〈香島より熊木を指して漕ぐ船の梶取る間なく都し
 思ほゆ〉だって、何を言ってるのか? ちんぷんかんぷんだわ」
 「あとで調べよう。大伴家持は今でいう大臣の子だな、立派な官人
 に成るように英才教育を受け、二十八歳の頃に今の富山県と石川県
 を守るために赴任して来たんだ。そのときに能登で読んだ句である
 ことは確かだね」
  ――橋を超え、しばらく車を走らせると、
 「カズちゃん、瀬嵐は右の標識があったよ」
 「ここを右だね、もうじき瀬嵐だぁ〜」
 「ほら、左手の民家を見て、民家の屋根瓦は皆んな黒く光って、大
 きな家だねぇ」
 「海が見えて来た! この坂道を下りたら直ぐに瀬嵐だ! 防波堤
 が低いねぇ、ここからだと海面と道路がおなじ高さに見えるよ」
 「瀬嵐集会所だって、あっ! 第一村人発見!」
 「ナオちゃん、テレビの見過ぎじゃない」
 「だって、あれ面白いんだもの、ルポライターとしては、何かと参
 考になるんだってば」
 「ちょっと、あの人に聞いて見ようか」
  机島に渡るには、どこへ行けばいいのか、机島に渡る方法を瀬嵐
 の人に尋ねてみた。
 「町会長さんに机島に渡る理由を説明して、漁師さんを世話しても
 ろたら渡れるがいね」
 「町会長さんに会うには、どこへ行けば?」
 「町会長さんの家はこの道を真っ直ぐ行ったら橋があるさかい、そ
 の手前の左を入ったとこにあるわいね、そこら辺で町会長さんの家
 はどれやって聞いたらすぐにわかるわいね」
 「そうですか、ありがとうございます」
  町会長さんに直ぐ会うことができた。
 「あっりゃまぁ、東京から来たがかいねぇ」
  能登弁の洗礼を受けながら、――これこれこうで机島の歌碑を取
 材しに来ましたと伝えると、こころよく船の手配に応じてくれた。
  その場で漁師さんと連絡を取り、ふたりを机島に連れて行くよう
 にと頼んでくれた。
 橋を渡ってまっすぐ行った突き当たりを右に少し曲がったところに、
 「人麻呂社」という神社がありますから、その前の広場に車を停め
 て待っていれば漁師がすぐに来ますからと、にこやかな笑顔でお世
 話をしてくれた。
  ふたりは町会長さんに丁重にお礼を言って、車を走らせるとすぐ
 に高い鳥居が見えた。階段の上の高台に神社があり、鳥居の直ぐ横
 に『人麻呂社』と彫られた人の二倍の高さはあろうかという立派な
 石碑が建っていた。
 「柿本人麻呂を祀っている神社なのかな?」
 と石倉はつぶやいた。
 「瀬嵐って、歴史的にも興味深いわね」
 レンタカーを草むらに停め、車から降りて沖の海に長く突き出た突
 堤を眺めていると、
 「あんたらかいね」
  不意に声をかけられた。振り向くと、赤いママチャリに股がった
 漁師が立っていた。  
  すぐ岸壁に係留してある船に乗せられ、ライフジャケットを着せ
 られ机島に向かった。
 「昔は島に誰がどう渡ろうと問題無かったんやけど今は海上保安庁
 がうるさいがやちゃ」
 と、気の毒そうな口ぶりで言った。
 「そうなんですか、漁師さんのお陰で今日は渡れるようになって、
 本当に助かります」
 無骨そうだがわりと気さくな漁師さんで、机島に向かう船の上で、
 丸木舟のことや牡蠣の養殖のことや机島に前方後方墳が発見された
 ことなど、色んな話を語ってくれた。
 西本尚美は嬉しさいっぱいの顔で鼻腔を広げ、潮の香りを胸いっぱ
 いに吸い込み、近づく島と海の景色をわくわくしながら見ていた。
 そこだけ石が人工的に積まれた船着き場について、ふたりが船から
 降りると漁師さんは、
 「三時に迎えに来ますんで、それまではゆっくり仲よう楽しんでく
 だい」――
 と、ニンマリ笑い、船をバックさせた。
 「あの年代だと三島由紀夫の『潮騒』の有名なシーンを思い出した
 んじゃないの?」
  石倉は何気に言ったのに、尚美はクククッと含み笑いをし、石倉
 を色目で見た。
  ふたりは手をつなぎ漁師さんに教わった島の西方向を歩くとすぐ
 に歌碑が見つかった。ふたりが歌碑に近づいて行くと、誰が草刈り
 をしたのか雑草は低く、歌碑の表面は磨かれたように御影石が黒光
 りをしていた。
 「これだよ、これが大伴家持の句だよ」
  石倉が歌碑の文字を読もうとしたときに、歌碑の真裏でガサッと
 音がした。
 「ギャアァ〜〜〜!」
  西本尚美が驚いて大声を上げた。
 歌碑の裏で白いサファリハットが動いたかと思うと、無精髭の男が
 立ち上がった。
 「いやぁ、驚かせて悪いねぇ、怪しいものではないです。草むしり
 をしてたんです」
 「そうなんですか、こちらこそどうも」
  石倉と尚美はおじさんを見て会釈をした。
 おじさんも帽子を取って会釈を返した。
 おじさんは帽子を被り直し、ふたりに訊いた。
 「どちらから、――来られたんですか?」
 「――東京からです」――
 と石倉は応えた。
 「そうですか、どうしてこんな島に来たんですか、たまぁに、万葉
 のゆかりの地を巡ってる人が歌碑の写真を撮りに来るけどねぇ」
 「ぼくも、まぁそう言ったところです、フリーのライターをやって
 いまして、万葉の歌碑に惹かれて、現地取材といったところです」
 「そうですかぁ、こちらの方は?」
 「僕の彼女です。ルポライターで同じような仕事をしています」
 「わたしは西本尚美と言います」
 「僕は石倉和男と申します」
 「そうですかぁ、私はね――」
 と言うと、リュックから名刺を取り出し石倉と西本に差し出した。
 石倉も西本もおじさんに名刺を渡し頭を下げ丁寧に応対した。
  名刺には能登郷土史研究会会員・高野猪三郎(こうのいさぶろう)
 と携帯の電話番号が書かれていた。
  無精ヒゲを生やした高野さんが自分の略歴と現在は何をしている
 のかを話してくれた。
  元国鉄からJRに変わった一九八七年四月一日を経験し、六十歳
 定年退職後に郷土の歴史や文化、史跡に関する研究を始め、後世に
 語り継ぎたいと思うようになり、研究した資料を子供達に読み聞か
 せたりするボランティア活動を行っていると言う人物だった。
  高野さんの話を聞き終わると石倉は、――
 「僕たちにも草むしりを手伝わせて下さい」
 「そうですか! 手が荒れますよ」
 「構いませんよ、こう見えても、そんなにヤワじゃありませんから」
  石倉は手でグーを作って、そう言った。
 「ちょっと、――待って下さいよ」
  高野さんはリュックのサイドポケットから
 予備の軍手を取り出しふたりに差し出し、「どうぞ、――これを使
 ってください」
 「うっわ〜、嬉しいわぁ〜こんな格好で畑仕事をするのに憧れてた
 のよぉ」と尚美。
 「高野さん、ありがとうございます。俄然やる気が出て来ました」
 と石倉。
 「この格好で写真を撮りましょうよ」
  ふたりの浮かれた様子を見て高野さんは、
 「何を言うとるがいね、たかが軍手やがいね」
  高野猪三郎は二人の意外な喜び様を見て、嬉しくなり、ついつい
 能登弁が出た。
  三人は草が生えている前で並んでしゃがみ草むしりを始めた。
 石倉は高野さんに机島の話を聞かせてもらえませんかとお願いした。
  高野猪三郎は中学生の社会授業でこの島に渡ったことがあり、白
 っぽい作務衣を着て白い髭を生やした人がガイドをしてくれて、
 「硯石の水は絶えんがやぞ、この水をいじったらダメながや、嵐が
 来て大時化になるんやと昔っから云い伝えられておるがや」
  と話したことと、島の中央付近に深い深い井戸があったことを覚
 えていると言った。
 「その硯石はどの辺にあるんですか? ぜひ見てみたいですね」
  石倉がそういうと、高野さんは、ゆっくりと立ち上がり躰を反ら
 し腰を伸ばしながら、――
 「あぁ〜、草むしりを手伝ってくれてありがとう。もうこれくらい
 でいいでしょう」
 「歌碑の裏がすっきりと開けましたね」
  と言って、石倉は軍手を脱いで返した。
 「力を入れて引っ張り、根っこからすっぽり抜け、気持ちが良くて
 楽しかったです」
  嬉しそうに言って西本尚美も軍手を返した。
 「こっちの方です。ついて来て下さい」
  西本尚美はルポライターが取材やインタビューで対象者の声を録
 音するための必須アイテム、ICレコーダーを鞄から取り出した。
「ナオちゃん、さすが、ぬかりないねぇ」
「これ、今日のために買ったのよ、これさえあればメモを取らなく
 て済むから楽ちんなの、小さいのに優れものなのよ、二時間でフル
 充電ができ、連続して約十八時間録音することができるの、あとで
 聞かせてあげるからね」
「これさえあれば、記憶に頼らなくても、メモをしなくても、いい
 から鬼に金棒だな」
 雑草がぼうぼうの中を分け入って行くと、
「探検しているみたいな気分ね」
 と言って、尚美は肩をすぼめ石倉を見た。
 石倉はおどけた眼差しを尚美に返した。
 誰も手入れをしなくなり、雑草が伸び放題ですっかり荒れてしま
 った松の木の間を分け入り、高野さんの後ろをついて行くと、長い
 年月を感じさせる松の木の下に六十センチ程の高さで平たくて窪み
 のある石が見つかった。
 その石の傍に立って、高野さんは手帳を取り出すと「能登石伝説」
 を読み始めた。
「――昭和になる少し前の事である。
 何人かの石工職人がこの島に渡り、巨石奇岩を切り出していた。硯
 石を見つけ、鑿(のみ)で加えて持ち帰ることにしたその前夜、空
 には一片の雲もなく風もなく、海は凪(なぎ)の状態で鏡の様に静
 かだった。夜半近くになって石工が寝ている小屋が強風で倒れそう
 になるほどガタガタと大きく揺さぶられた。
  石工ら何事かと驚き跳ね起きた。小屋の外へ出てみると海は依然
 として凪いだままで、月が煌々と照り輝いていた。その夜空を見て
 不思議に思い、再び小屋に入り枕に就いた。するとまた、凄まじい
 音を立て小屋が揺れだした。その恐怖に石工らは、小屋で寝るのを
 諦め、松の木陰で身を寄せ恐れながら一夜を明かした。
  ようやく日が昇るのを見て石工たちは、後始末もそこそこに慌て
 ふためいて島から逃げるようにして引き揚げた。――という伝説が
 残っているんです」
「さすが郷土史研究家ですね、そんな伝説があったんですね、あり
 がとうございます」
  と石倉が礼を述べると、――
 高野さんは、まんざらでもない顔をして、
 「いいえそんなぁ、お役に立てて嬉しいです。まだまだ、私が色々
 と調べたことで、この島にまつわる話がいっぱいありますよ」
 「是非ともその話をお聞かせ下さい」
 「では、散策しながらお話ししましょう」
 「私が中学生の時に初めてこの机島に渡ったのですが、島が個人の
 所有地であることに驚き村のものではないのかと疑問に思いました。
 それから五十五年以上経った今になって、当時のことを調べたくな
 ったのです。それで同級生の山田寿一(やまだじゅいち)に聞いてみ
 たんです」と言って、その時の電話のやり取りを話した。

 「机島はむかし個人が管理をしていたやろぅ、中学生の時に島に渡
 った時にガイドを してくれた人の詳しいことを知らんかいね」
 「ありゃ幾地さんゆうてぇ、おらちと同級生のぉ、幾地晴美さんの
 父ちゃんやがいね」
 「そうかそうやったぁ、思い出したわいね」
 「俺に聞くよりも晴美さんに聞いた方が早いちゃ、電話番号教えっ
 さかいまっとけま」
 「高野さん、やまだじゅいちさんは何て言ったんですか」
 「あれはいくじさんといって、ぼくたちと同級生のいくじはるみさ
 んのおとうさんですよ、その晴美さんの電話番号をおしえるからま
 っててね、と言ったんです」
 「そうですか、聞かれたことが面倒くさくて怒ったように言ったの
 ではないんですね」
 「これが普通の会話やわいね、能登はやさしや土までもっていうが
 いねぇ、ハハハハ〜」
  ふたりは小首をかしげた???……。
 「それで晴美さんに電話をしたんですよ、これこれこうで、机島で
 お父さんがどんなことをしていたのかを詳しく知りたいのですが、
 お話を聞かせてくれませんかってね、そしたら晴美さんには姉がい
 て、姉の輝子の方が父親のことに詳しいからと言って、輝子さんの
 電話番号を教えてくれたんです。
 輝子さんに電話をするとお父さんは「幾地秀二(いくじひでじ)」と
 言う名前で話を聞くと、奇想天外波乱万丈でした〜」
 「それは面白そうですね、興味があります。いくじひでじさんの事
 を是非聞かせて下さい」
 「私は、名を馳せてはいないが知られざる郷土の偉人を探ろうとし
 て調べているんです。それをまとめたものを残したいんです」
 「高野さんは素晴らしいライフワークをお持ちですね、『知られざ
 る郷土の偉人』という本ができそうですね」
 「本と言えばですね、ふるさと紀行『能登の家持歌碑めぐり』と言
 う本をご存知ですか」
 「あぁ〜、申し訳ないですが存じてません」
 「そうですか、その本を書いたのは『西仙関(にしせんかん)』とい
 う人で、私が中学生の時の英語の先生で退職後、ふとしたことから
 能登各地に建つ万葉歌碑に関心を持ち調査し本にしたのです」
  と、高野さんは教えてくれた。
 「にしせんかんですか、変わったお名前ですね、出版できたなんて
 ご立派な方ですね」
 「私も郷土史をまとめたモノや功績を残した偉人の話をまとめたモ
 ノを本にして、後世に読み継がれていくように残したいのですが、
 自費出版となると、――これがねぇ……」
  と言って、親指と人差指で丸を作った。 
 「高野さん、いつかきっと、その夢は実現しますよ、頑張って続け
 て下さい」
 「石倉さん、――等伯ご存知ですか、長谷川等伯」
 「あぁ〜、申し訳ない、存じてませんが」
 「そう、松林図屏風で有名なんだけど……」
  高野さんは自慢したかったが話の腰が折れ、七尾駅前にある長谷
 川等伯(はせがわとうはく)の銅像のことを言うのをやめた。
 「いくじひでじさんは机島にいた人ですね」 
 「いたというよりも、父親の後を継いで島を守っていたというか番
 人をしていたんです」
 「いくじさんと机島の変遷を知りたいです」
 「幾地秀二さんの話をお姉さんの輝子さんから直接聞いたとき、瀬
 嵐にそういう人がおったんか、大したもんやぁと思いました」
  高野さんはそう言って、当時の机島と共に生きた幾地秀二さんの
 変遷を語り始めた。
 「父親は幾地宇一朗(いくじういちろう)という人で当時は観光ブー
 ムで和倉からの遊覧船も島に通っていました。秀二さんは県立七尾
 商業高校出身で、スポーツ万能で水泳が得意でした。
  夏場は頭に本を乗せてくくりつけ七尾から瀬嵐まで海を泳いで帰
 ってました。アジア水泳大会で優勝し、前畑秀子さんが日本人女性
 として五輪史上初めてとなる金メダルを獲得した。ベルリンオリン
 ピックに水泳選手として参加してました。
  浅草の劇場の支配人をし、ムーランルージュの劇団員と結婚しそ
 の後離婚。戦争激化で志願兵になり特務中尉になり上海の総領事館
 に勤めていた女性と知り合いました。黄河の濁流を死に物狂いで渡
 り九死に一生を得た。その後、総領事館で知り合った女性と結婚し
 瀬嵐に帰った。栄養失調で目がよく見えなかったが食事と牡蠣の栄
 養成分が効いて目が回復し見えるようになった。
  島に上陸する客から五円〜十円を貰い、観光ガイドをしたり、西
 瓜を売ったり、飲料を売ったり、キャンプ用のテントを貸したり、
 泳ぎを教えたり、島の管理をしていた。
  島に来る人がめっきり減り、牡蠣養殖も漁業も思わしくなく、町
 会議員をしたり石川県水泳協会の会長をしたりした。
 海や川で泳いでいるようではオリンピック水泳には及ばないと学校
 でのプール設置を推進した。完成したプールの竣工式で古式泳法を
 披露。輪島市生まれ元五輪競泳選手で銀メダルを四つ獲得した山中
 毅を教えたこともあった。夏場は小屋で寝泊まりし、裸足で踏むと
 危険な貝の除去など島の環境整備をしていた。
  まだおおざっぱですが、輝子さんが記録を書いて送ってくれるの
 で、それをまとめます」――と高野さんは幾地さんの変遷を語った。
 そろそろお昼にしましょうと、三人は平たい場所にシートを敷いて、
 お弁当を食べた。
  その後も島の散策を続けたが草がぼうぼうで先には行けず諦めて
 元に引き返した。時計回りに海沿いを歩くと、島と島との間が最も
 近くてわずかに砂地が残っている入江に出た。
  静かな島の小さな入江に小波が打ち寄せ、白い波飛沫が岩を撫で、
 寄せては返し、寄せては返し、小さな波音を奏でていた。
 「ここから種ヶ島まで近いでしょ、ほら、海の中をのぞいて見て、
 小さな巻貝が見えるやろう。それが大伴家持が詠んだ〈しただみ〉
 や、塩茹でして待ち針で突いて中身を取り出して食べるがや、まっ
 でぇうまいがやぞぉ」 
 高野さんはまたまた話に熱が帯びてしまい能登弁が口をついて出た。
 「まっでぇ〜? うまいがやぞ〜?」
  石倉は能登弁の発音を真似してみた。
 高野さんはちょっとイントネーションが違うがいねと言って、はに
 かみながら笑った。
 「すごく、うまいんだよって言ったんです」
  ナオちゃんは目を丸くしてうなずき、――
 「そうなの、わたし、この可愛らしい小さな貝を食べてみたいわぁ、
 ねぇカズちゃん」
 「獲ってもいいんだったら、獲りたいね」
 「さざえ、あわびは獲ったらダメやけど、しただみは漁業権に入っ
 とらんから大丈夫なんや、けど……、ちょっこし待ってね」――
  高野さんは携帯を取り出し電話を掛けた。

 「もしもし、寿一(じゅいち)、今、机島におるんやけど、東京から
 歌碑を見に来たカップルと会うてな、さっきまで歌碑の裏側の草む
 しりを手伝うて貰うておったがやけど、話しをしとったら、しただ
 みを食べたいということになったがや、それで寿一に頼みがあるん
 やけど、しただみを何とかして食べさせられんかのぅ」 
 「その人らは、何時ごろ島から帰るんや」
 「ちょっと待ってくだい」
  高野さんは携帯を耳から離すと送話口に手を当て、石倉に何時に
 帰るのかと聞いた。
 「三時に迎えに来ることになっています」
 「三時に迎えの船が来るんやて」
 「三時か、よっしゃぁ、区長さん家で食べれるようにしとくさかい、
 あとは任しときぃ」
 「そうかすまんのぅ、ほんなら頼むわぁ」
 「船を世話してくれた町会長さん家で食べれることになりました。
 楽しみにして下さい」
 「うわぁ〜ありがとうございます」
  石倉と西本は胸の前で手を叩いて喜んだ。
 「この汐越えの入江は三月頃の干潮時に歩いて種ヶ島に渡れること
 で知られてるがや」
 「そうですか、海は澄んで綺麗ですね、波は穏やかだし、泳いで見
 たくなります。とても静かでいい島ですね、住んでみたいなぁ」
 「昔は小学生らがここで泳いだんです。私の知り合いも子供の頃に、
 ご近所の人達と海水浴で渡ったことがあるって言ってました」
  私には夢があるんですと高野さんは言って、
 「島を整備し、机島と種ヶ島に吊り橋を架け、花の咲く木々を種ヶ
 島に植え、どちらかの島に360度見渡せる展望台を設け観光化し、
 泳いだり釣りをしたりキャンプをしたり、島と海の自然を楽しめる
 アウトドアレジャーと大伴家持の歌碑がある島として、昔のように
 大勢の人が遊びに来る島にしたいんです」
 「その夢が叶えば、大勢の人がここを訪れるようになり、ふたつの
 島も喜ぶでしょうね」
 「種ヶ島も机島も、瀬嵐の人たちが開拓したんです。島に渡って畑
 を耕し、雉の飼育もやってたことがありましたが、今じゃ誰も渡ら
 んようになってしもうて荒れてしまいました」
 「せあらしではなくてせらしですか、漁師さんが島に向かう船の上
 で、昔は瀬嵐の在所に舟大工さんいて、丸木舟が沢山あった。それ
 を漕いで島に渡ったって言ってました」
 「昔はろを漕いでましたけど、船外機を付けるようになってから丸
 木舟も減って行きましたねぇ」
 「島に渡り、親が畑仕事をしているうちに、子供たちはしただみを
 バケツにいっぱいになるほど獲っていたって、漁師さんが言ってま
 した。それから、来るときに見えた牡蠣の養殖棚は、今では珍しい
 竹を利用した昔からのやり方で、そのやり方を瀬嵐の海に始めたの
 が、『赤崎茂登安(あかさきもとやす)』という人だと聞きました」
 「そうなんです。牡蠣養殖を広めたという『赤崎茂登安』は私の同
 級生の父親なんです」
 「へぇ! そうなんですかぁ!」――

  高野さんは遠い目を東に向け語りだした。 
 「夜明けが近づき東の空が白み始めたころ、穏やかな朝凪の海を、
 七尾湾の牡蠣棚に向かう舟の引き波が海面に広がりを見せ、朝日が
 昇ると真っ直ぐ這うように黄金色の陽の光が海面を照らす。
 その光が机島の東のかじられたパイのように丸く岸辺がえぐられた
 小さな入江に射し込むと、そこに立つ大きな奇岩が陽の光を反射し
 白く輝いて見える。太古の昔から、その奇岩は神が宿る石として人
 々に崇められてきました。その石の周りの大きさは大人ふたりが両
 手を伸ばし石を抱くようにすれば手を握り会える大きさで、愛し合
 う男女が手を握り合って石を抱くようにして祈願すると、結婚が叶
 い子宝に恵まれ、一生仲良く暮らせるご利益があると言い伝えられ
 てきました。
 人々の体が擦れた部分の岩肌がつるつるになり、そこに陽が当たる
 と、白く輝いて見えるのです」
 「そうですか! その石は今はどうなっていますか? その場所に
 行ってみたいです」
 「今でいうパワースポット的な場所でしたが、誰も行かなくなって
 何十年にもなりますので、草ぼうぼうで松の木や雑木が鬱蒼と生え、
 原生林のようになり、今は行けません」
 「そうですか、それは残念ですね」
 「おふたりは近いうちに結婚するんでしょ」
 「いいえ、まだ決まってないんです」
  石倉がそう答えると、間髪入れずに尚美が、
 「プロポーズもまだしてないだもんねぇ」 
 と言って、ニンマリと笑い、高野さんに助けを求めるような目を向
 けた。
  石倉は眉間に皺を寄せ真剣な表情で、
 「結婚した後もライターの仕事がうまくいくかどうかが心配で、悩
 んでいるんです」
  それを聞いて、高野さんは顎を撫でながら、 
 「この歳になって思うんだけど、人生なんて先のことを悩んでも、
 明日や明後日に答えが出るもんじゃない、生きてりゃどうにかなる
 って思ってないと、人間やってられないよ。 悩みを補う明朗快活
 なパートナーがそこにいるじゃないですか、YOUやっちゃいなよ」
 「えっ何で! そこは関東弁なの?」
 「照れくさくてさ、ジャニー喜多川さんの真似をしたんじゃないの、
 ねぇ――高野さん」
  ふたりの顔色を伺い、高野さんは言った。
 「丁度いい大きさのこの石を挟んで手を握り、ここでプロポーズを
 したらどう! 一生忘れられない、いい思い出になると思うけど」
  尚美はそうして欲しそうに膝を揺らした。
 石倉はこの機会を逃すまいと思った。
  その場の空気に素直に従い、ふたりは石を挟んで手を握り、硬い
 表情で向かい合った。――
 「尚美さん、僕とケッコンシテクダサイ」
 「はい、でもそんなに短いの」
 「えぇと、――愛しています。幸せにします」
 「はい、私を幸せにしてね」
  高野さんは手を叩いて、ふたりを祝福した。

  迎えに来た船に三人は一緒に乗り、瀬嵐に戻り、町会長の家でし
 ただみをうまい、おいしいと言って食べさせてもらった。――
 「ご馳走様でした。またせらしに来たいわ」 
  和倉温泉駅前でレンタカーを返し金沢へ、金沢駅から北陸新幹線
 で東京へ向かった。

 「僕は帰ったら雑誌社に「郷土の偉人伝説」の連載記事を担当させ
 てくれと頼んでみるよ。名を馳せてはいないけど地域に貢献した偉
 人は日本中に沢山いると思うなぁ、一生掛けて調べられるいい仕事
 だと思うよ」――
 「それって、高野さんの受け売りじゃん」
 「まぁそうだけど、ヒントを頂いたということで、結婚したらさ、
 今回のようにふたりで偉人探しの取材旅行をしてさ、編集と監修を
 お互いに兼ね合いながら、ふたりで書いた記事が連載されるのが、
 ――ぼくの理想だね」
 「能登にまた行きたいわねぇ」――
 「能登弁の語尾に、思いやりを感じたねぇ」
 「能登はやさしや土までも、だって」
  北陸新幹線は長い飯山トンネルに入った。

              「完」
 
 【野中様からの感想・解説文】

 先ず小説の書き出しがとても素敵ですね。
主役の彼女の登場で先の展開が読み手にわくわくさせます。
二人の愛の行方が気になり、もう読む人の心を摑んでいます。
平成から新たな時代の幕開きの元号「令和」を切り口にして物語って
いくなど憎いですね。

 さて、ご承知のとおり万葉集と旧中島町との縁起は大伴家持が巡行で
香島津(かしまつ・七尾港)から船で熊来(くまき・旧中島町)にこられ
たことであります。

 また、歌碑と言えば実際に詠まれた場所に建立されることが最も
重要である。世の文学青年らがそこに立って、その歌を通して歌人と
対峙し思いに馳せる。それに反して、そうでない場所での建立。
二つの実感の違いはいかがなものか。想像しなくても明白であろう。
推して知るべしである。と遠藤周作は言っています。いい得て妙であります。

それに小説に登場する薬師寺の元管主・高田好胤師は次のお言葉が
あります。
・「親が子をつくるのでなしに子が親をつくる」
  子によって親にさせていただいている我が身かな。
・「かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心、
  広い心、もっともっと広い心」
 どれも、私の座右の銘であります。

また机島ですが私も想いでの多き島です。
川で育つたわが少年時代の海水浴と言えば机島でありました。
親父の勤務先での夏期職員家族親睦行事は机島の海水浴が定例です。
初めての海は透きとおっていて怖かった事を想いおこしております。
当時、シーズン中には売店が設けてあったように記憶してます。
潮が引くと隣の種子島まで歩いて行けたことを薄っすらと覚えています。

北陸新幹線の中でのお弁当を愉しむ二人。和倉温泉の旅館「加賀屋」
までの旅路がまるで楽しく読み手をハッピーにしてしまう。
全体をとおして言える事だが情景が手に取れるようで、
まるで映画を観ているように脳裏に映る。

 地元では昔から忘年会など何かに付け加賀屋を利用するのがごく自然で
した。古き良き時代に和倉温泉駅のホームまで仲居さんがお見送りして下
さる。今でも半端でないおもてなしの“加賀屋の流儀"には頭が下がります。
ある忘年会の日でした。ふとお風呂場に置かれた何の変哲も無いごく普通の
ゴミ箱を見て驚きました。そこには筆で「ごみ箱でございます」と書かれて
あったのです。加賀屋の心が隅々まで行き渡っている。日本一に納得です。

 和倉から能登島に架かる能登島大橋の曲線美は浴衣の帯の曲線をモチーフに
したとか。ロマンのある話ですね。
 レンタカーで走ったコースは偶然にも「能登和倉万葉の里マラソン」のコー
スです。それとは別に熊木川周回コースの「なかじま万葉の里マラソン」が
あります。どれも万葉集の歌人大伴家持を讃え偲ぶマラソンです。

いよいよ目的の机島に上陸。島での予期せぬドラマの展開が実に面白く想像を
掻き立てる。ここにこそこの小説のタイトルの真髄を垣間見る。

「能登石伝説」怖いですね。石には昔から神霊が宿ると言いますから。
私はこのような伝説、初めて知りました。

「知られざる郷土の偉人」の本製作。高野さんの夢が叶うといいですね。
また、西仙関先生の家持探求の情熱には尋常ならんものがあります。
名著「シュリーマンの古代への情熱」に匹敵します。
なお、「長谷川等伯」については「狩野永徳」と対比しての考察が面白く
お薦めしたい。

現在、NHKの大河ドラマに五輪の前畑秀子さんが登場しています。
それに輪島の山中選手のことなど、作者による来年の東京オリンピックを
意識してのことからか。そうでなしにこれも偶然であろう。

机島と種子島の壮大な”アウトドアレジャーの夢ランド”計画。
そこでのサンセットライブなどはバリ島に居るようであろう。
テント村や流行のテントサウナー。サウナーの後はそのまま海に。
また、家持にちなんでの短歌大会。カヌーや昔の丸木舟の貸し出しなど。
アイディアが沸き上がって止まらない。

高野さんは遠い目を東に向け語りだした。
その語りがなんとも言いがたくつい聞き入ってしまう。
いよいよ当小説のクランクアップか。

この小説は「令和」をきっかけに「万葉の旅」と二人の「ラブストーリ」
が織りなす。まさに”万葉恋歌”ですね。

"能登はやさしや土までも"と結ぶ「完」はさすがです。


 <終わり>

posted by てらけん at 09:17| Comment(6) | 青い屋根だより | 更新情報をチェックする

2019年11月20日

 『デカメロンより話の数は少ない』と言う題名の小説!。


 『デカメロンより話の数は少ない』

 私小説ですが、よろしかったら読んで見てください!。



   「デカメロンより話の数は少ない.rtf 縦書きです。


   デカメロンより話の数は少ない.rtf 横書きです。


  面白いと思った方は、感想をお気軽にコメント欄でお願い致します!。


  短編「野良猫のサプライズ」


    野良猫のサプライズ.rtf 横書きです。


    『野良猫のサプライズ』.rtf 縦書きです。


   『野良猫のサプライズ』 寺沢憲重

   秋の日の夕暮れ間近、西日が低く屋根や道路を照らし
  てた。帰宅途中の男が真っ直ぐな陽射しが眩しくてひた
  いに手をかざし西日を遮りながら自転車を漕いでいた。
   その男の前方に猫が姿を現し、男の自転車の横に近寄
  って来ると、下から男を見上げて、一際高い声で鳴い
  た。初対面なのに何て人懐っこい可愛い猫なんだと男は
  思い、自転車に股がったまま猫の額に手を伸ばした。
  するとその手をかわし、今度は自転車の前に廻り、また
  高い声で何度も鳴いた。男が自転車を進めると水路に沿
  って並走しながら追ってきた。
   男は、餌が欲しいと鳴いているのか? それとも愛想
  のいい猫なのか? と思いつつ、
  「あげる物は何にも無いんだよ、ゴメンね」
   と猫に話しかけ、去り難い思いに駆られた。猫はふれ
  あいセンターの前までついてきた。そこまでついて来て
  止まるとお座りをした。男はサヨナラのバイバーイを言
  った。――
   その日の晩、――食事をしながら妻に話した。
  「今日さ、帰り道に人懐っこい猫がいたんだよ、学校の
  門の前を通り過ぎて直ぐの十字路を渡って二軒目の家の
  辺から飛び出して来て、自転車に乗っている僕の足元に
  近づきニャーニャー鳴くんだよ、触ろうとすると触らせ
  てくれなかったけど、『ふれあいセンター』まで鳴きな
  がら尻尾を高く上げついてきたよ」
  「飼い猫なの? 野良猫なの?」
  「首輪が無かったから、きっと野良猫だよ、いつどこか
  らきたか? 家に連れて帰ろうかと思ったけど、生まれ
  て何ヶ月なのか? かなり大きくなっていたから、もう
  躾けるのは無理だと思って、連れて帰るのを諦めたよ」
  「猫はもういいわ、私たちの先に死なれても、後に死な
  れても、どっちにしても辛いもの」
  「そうか、――そうだよね」
   男は、妻が〈猫はもういいわ〉と言ったのを聞いて、
  ペットロスと言われる喪失体験の影響は根深いものがあ
  るんだなぁと思った。
  「このカツオのたたきを残して、あの猫に食べさせてあ
  げたいんだけど、いいかな?」
  「いいわよ、野良猫に餌付けをするのは良くないって言
  うけど、あなたの好きにすれば」
   翌朝、ナイロン袋に入れたカツオのたたきを自転車の
  前かごに入れて家を出た。
  ふれあいセンターを過ぎたあたりから、舌を鳴らして呼
  んでみると、左手の家の車の下から飛び出して来た。
  鳴きながら自転車の前を横切り用水路の柵の間から下に
  飛び降り、溝の一段高くなったところを自転車と並走し
  ながらついて来た。男は誰もいないことを確かめると、
  用水路に向かってビニール袋を逆さにしてカツオのたた
  きを振り落とした。
   猫は一切れをくわえると水路の南側の家の入り口の橋
  の下に逃げ隠れ、かぶりついた。
  「やっぱり、野生なんだなぁ」と思った。
   男の頭の上にバサッバサッと言う音がしたかと思うと
  直ぐ傍の柵の上にカラスが止まった。わっと驚いて身を
  屈めた一瞬の隙に! カラスは下に舞い降り、あっとい
  う間に溝に落としたカツオのたたきをくわえ飛び去っ
  た。
   庭の植木の隙間から警戒心の強そうな三毛猫が現れ、
  食べているカツオのたたきに近づこうとした。先の野良
  猫が睨んで唸り声をあげ威嚇した。三毛猫は怖れて後ず
  さりした。
  「そっか、他にもまだ猫が居たのかぁ」
   三毛猫を見て可哀想に思い、人間の勝手な気まぐれ
  で、野良猫に餌をあげるのは人間のエゴ以外のなにもの
  でもないと男は思った。
   男は次の日から、駅に向かう時も家に帰る時も、違う
  道を通ることにした。 
   そして、一週間が過ぎたころの帰り道で、帰巣本能の
  習性のせいか? うっかりと学校の前を通り過ぎ、十字
  路に差し掛かかったところでハッと気付いた。〈あの猫
  はどうしているかなぁ?〉見たいけど、見ると辛いよう
  な……、そんな気持ちになった。
   十字路を過ぎて五メートルほどの場所に立っている左
  側の電柱の手前に高校生の男女ら五、六人がたむろをし
  ていた。
  「ミーちゃん、ミーちゃん」と言いながら、電柱の下で
  高校生二人がしゃがんで電柱と水路の柵の間に手を伸ば
  し、電柱の反対側にいる猫を撫でようとしていた。手を
  差し出している先にあの野良猫がいた。その場からは逃
  げようとはしないんだが、触ろうとすると身をかわし触
  らせようとはしなかった。
   野良猫は自転車に股がったまま、その様子を見ている
  男に気づくと「ミャア〜〜〜」と一際高い声で鳴いた。
  高校生らもこのおっちゃんと猫は知り合いか?! みた
  いな顔で男を見た。
   男は自転車のペダルを漕いでその場から去ろうとし
  た。野良猫は「ミャア〜ミャア〜」と鳴きながら男の後
  を追って来た。
  「ミーちゃんミーちゃん」
   高校生らが呼んだ。
  野良猫が自転車の横で男を見上げて鳴いた。高校生たち
  は男について行く猫を見ていた。
   ふれあいセンターに近くなる頃、――
  「ただいまぁ、待ってたの、ありがとう」と、野良猫に
  話かけた。
  野良猫は柵に頭を擦り、甘えた仕草で「ミャア〜ミャア
  〜」と鳴いた。ふれあいセンターの前で野良猫は止まっ
  た。ここまでがこの猫のテリトリーなのかな? と思い
  ながら野良猫に、
  「ミーちゃん、またねぇ、バイバ〜イ」と言ってさよな
  らをした。
  野良猫は去って行く男をずっと見ていた。

   その夜、晩ご飯を食べながら男は言った。
  今日の帰りに、久しぶりにあそこを通ったらあの野良猫
  がいたよ、高校生らがちょっかいを出していた。人間を
  怖がらない猫なんだね、でもかまおうとするとかまわし
  てくれない、あの野良猫は媚を売って鳴いてるんじゃな
  いような気がする。どことなく高貴な感じがするんだよ
  なぁ、食事が済んだらこのイワシの煮付けを持ってお前
  も一緒に行ってみない」
  「その煮付けは辛いわよ、塩気の多い物を猫に食べさせ
  るのはよくないのよ」
  「じゃぁ、湯通しをして塩分を減らそうよ」
  「そうしましょうか、ボールにお湯を入れて、そこにし
  ばらく浸して塩抜きしたらいいわ」
   食事中なのに、妻はすぐに立って、瞬間湯沸かし器で
  熱めのお湯を出しボールに貯めるとイワシの煮付け二匹
  をお湯に浸けた。
  食事を済ませ、シンクにある食器類の洗い物を済ませ、
  水で冷ましたイワシをナイロン袋に入れて夫婦ふたりは
  玄関を出た。
  「どうする、自転車で行く? 歩いて行く?」
  「散歩がてらに歩いて行こうか」
   夫婦ふたりは、月夜の明るさと街路灯に照らされた道
  を、ときおり影を重ねて歩いた。
  「いつからか?あの野良猫にミーちゃんって高校生らが
  呼んでいたから、ミーちゃんって名前に決めちゃった。
  学校を通り過ぎた十字路から、ふれあいセンターの横の
  公園の十字路まで『ミーちゃん通り』ってことにする
  よ」
  「うふっ『ミーちゃん通り』ね、面白いわね」
  「ミーちゃんは、果たして出て来るかなぁ」
   ふたりは、ふれあいセンターを過ぎた辺りから、前方
  に目を凝らしながら歩いた。男は〈ツッツッツッツッ〉
  と舌を鳴らしミーちゃんと小声で呼んだ。
   男の妻も小声でミーちゃんと呼んだ。
  ふたりはゆっくりと歩き、辺りに注意を払いながら、小
  さな声でミーちゃんを呼んだ。
   すると! 十字路の手前二軒目の駐車場の白いライト
  バンの下から猫が飛び出して来た。
   尻尾を立てて鳴きながら近づいて来た。
  しゃがんで手を出しても、手が届く範囲には近寄っては
  来ない。ミーちゃんは柵の間から水のない側溝へ飛び降
  り、川底から一段高いところで鳴いている。男の妻は、
  ――「ミーちゃん、はいどうぞ」――と、言って、
  持って来たイワシを溝に落とした。
  ミーちゃんはイワシをくわえると、水路に架かっている
  小さな橋の下に隠れて食べ始めた。
  「毛色と柄から見て、キジトラだね」
  「違うわ、キジ白よ、顔の下やおなか、足先が白いでし
  ょ」――と、男の妻が言った。
  「可愛い猫やろう」――と、男が言った。
  「うん、可愛いわね、でも、ちっとも痩せてないわね、
  誰かが餌を与えてるんじゃない」
  「そうだねっ、ご近所の人で猫好きな人がこっそり与え
  てるのかもしれないなぁ」
   ふたりはその場を離れ、月明かりを左の肩に受けなが
  ら家に帰った。
 
   ――そして数日後――
   男は週に一度行う運動不足解消の散歩に出掛けた。そ
  の日は、市が整備管理している『せせらぎの道』を散歩
  コースに選んだ。散歩コースの中間地点辺りで、ミント
  グリーンのペンキの色が所どころ禿げたベンチの真後ろ
  から、か細い仔猫の鳴き声がした。
   ベンチに上がり、剪定されたツツジの上から覗くと、
  直径一メートルはあろうかという赤松の巨木の根元の窪
  んたところで母猫がすっぽりと横たわり、三匹の子猫に
  お乳を飲ませていた。
   男と母猫と目が合ったが、母猫は動じることもなく、
  横たわったまま男を見ていた。
   巨木の下にはわずかな地表があり周りには低木が生え
  ていた。仔猫の鳴き声がする方を見ると、三メートルほ
  ど離れた低木の間に毛色の違う仔猫がいた。
   また違う方向から鳴き声がした。母親の居場所から五
  メートルほど離れたツツジの木の隙間をおぼつかない足
  取りでどこへ行くのか仔猫が鳴きながら、よちよちと歩
  いていた。 
   巨木の裏側からも、可愛い顔を覗かせ、口を開け泣い
  ている仔猫がもう一匹いた。その光景を見た男は、仔猫
  の離乳期に遭遇したのだなと思った。
   そのうちの一匹を連れて帰りたいと思ったが、完全に
  親離れをしたのかどうか確認できないし、妻は猫を飼う
  ことを望んでいないことをこの前知ったところなので、
  連れて帰ることを断念した。
   母親から離れた仔猫はどうなるんだろう? 
  男は気になりベンチの上から静視していた。
  ひとしきり母親の乳を飲んでいた三匹に対し、母猫はも
  ういいでしょと言った感じでお腹から仔猫を離そうとす
  るような動きを見せた。それでも仔猫は離れようとしな
  い、すると、いきなり牙をむいて威嚇し、ついに仔猫に
  猫パンチが炸裂した。攻撃を受けた仔猫のうちの二匹は
  鳴きながら親猫から離れた。
   初めて親離れの瞬間を目の当たりにした男は、猫が野
  生で生きることの厳しさを突きつけられ、猫の世界の容
  赦のない厳しさにたじろぎ、残酷に思えて胸が締め付け
  られた。
   過酷な野生の世界で生きる宿命とは言え、わが子との
  別れを母猫はどんな気持ちで辛さや悲しさを乗り越えて
  いるのだろう。
   仔猫はこれから野生の掟や本能に従って生きていかな
  ければならない、生まれたこと、生きていくこと、死ん
  でいくこと、猫は人間のように、うだうだ考えたり、問
  うたりしないのか? 
   男は自分と猫とを置き換え、生ききること、死にきる
  こと、寿命を全うすること、それを考えたが、煩わしい
  だけだった。
   猫はある日、突然姿を消すが、それも自然の摂理の中
  の一つの出来事にしかないのだ。
   男はその場から離れるとき、試練とは言え親猫も仔猫
  もエライなぁと思い……、親離れとか子離れがうまくい
  かない人間に、この猫の現実を見せてやりたいものだと
  思った。
  「いい縄張りを見つけて元気に暮らせよぅ」
   男は心のうちでそう呟きベンチを降りた。

   ――数日経って、
   男は出がけにデジカメをポケットに入れて、仕事先に
  向った。〈今日は帰りにミーちゃんの動画を撮るんだ〉
  と、楽しみにしていた。
   その日の仕事が終わり、県道から学校の門の前を通る
  一方通行の道に自転車を走らせた。
  学校の門の前を過ぎたあたりで自転車を停め、上着のポ
  ケットからデジカメを取り出し、撮影モードをオートに
  して電源のスイッチを入れた。
   あとは、被写体の範囲に入ったら動画の赤いボタンを
  押せば撮影がOKなのだ。
   十字路に向かって自転車をゆっくり漕ぎながら近づい
  ていき、〈よし、ここから撮影しよう〉と思って、ミー
  ちゃん通りの十字路の前で赤いビデオボタンを押した。
   すると、撮影の合図を待っていたかのように、十字路
  の右の角辺りから、ミーちゃんが飛び出し、尻尾を立て
  て鳴きながら道路を斜めに跳ねるように走り、自転車の
  前を横切り、男の左足の近くに寄って来た。
  十字路を渡り、一方通行のミーちゃん通りをゆっくりと
  自転車を進めると、ミーちゃんは男の顔を何度も見上げ
  ながら、声高に鳴いてついて来た。
  「ミーちゃん、ありがとう待っててくれたん」
   ――と、男は猫に話しかけた。
  「ミヤァ〜、ミヤァ〜」――と、
   それに答えるかのように猫は鳴いた。

   家に帰るとすぐに、撮った動画をパソコンに移し、そ
  の映像を確かめると、ディスクトップに保存した。
   その日のお夕飯を済ませ、シンクの中の物を片付け、
  妻がゆっくりする時を見計らって、
  「これ見てぇ、今日帰りに撮ったんやでぇ」 ――と言
  って、動画を保存したディスクトップのアイコンをクリ
  ックした。
  「まぁ! 可愛い! 上手に撮れてるじゃない、いい動
  画ね! 感動しちゃったわぁ〜」
  「一分十三秒のドラマだね……、猫の言葉が分からない
  から、切なくて、やるせないね」
   ――その晩、男は夢を見た。
   生後半年ほど経った六匹の仔猫に、母猫がお乳を飲ま
  せていた。母猫が仔猫を前足でなぐり牙をむいて”シャ
  ー”と、威嚇した。三匹は鳴きながら母猫から離れ、巨
  木の根っこに身を寄せうずくまっていた。母猫のお腹か
  ら離れようとしない三匹に対して、尚も威嚇し容赦のな
  い攻撃を加えた。二匹は辛そうにしながらも、しぶしぶ
  離れた。
   残った一匹に対して、母猫は、仲良くなれる善良な人
  間と、危険な人間の見分け方と、人間との付き合い方を
  教えた。
  「あなたは、食べることには困らないでしょう。あなた
  は、人間に可愛がられ、人間の役に立つように、自尊心
  を持って生きなさい」
   そう伝えると母親はその場から消えた。
  「あっ! 子猫がいるわよ」
   学校帰りの女子児童のふたりが見つけて、ひとりが仔
  猫を上着に包んで持ち帰った。ご近所なのか?通りすが
  りのオバさんが、仔猫のうちの一匹を拾って持ち帰った。
   あとの猫はどうなったのか分からないが、最後に親離
  れをした仔猫は、西に傾く夕陽に照らされ、南の方へ南
  の方へと向かっていた。
   「あっ、ミーちゃんだ」――と、
   声を発しようとしたらハッと目が覚めた。

   学校を過ぎて十字路を渡って右の角から、文房具と菓
  子パンを売っている伊藤商店さん、二軒目がサラリーマ
  ンの弘田さん、三軒目が中田さんで、ご夫婦ともに教職
  員で定年退職している。四軒目がカーディーラーのセー
  ルスマンの岡田さん、佐野さん宅は高齢者のお二人がお
  住まいで平屋一戸建てである。あとの四軒は平田さん、
  木戸さん、北村さん、吉竹さんで表札で名前を知った程
  度である。
  ミーちゃん通りの右側に九軒が並んでいた。
   十字路の左側の角から、大きな屋敷の長尾さん、長崎
  さん、山川さん、柴田さん、ふれあいセンターと公園ま
  でがミーちゃん通りだ。ミーちゃん通りと勝手に名付け
  た男は、その道を通って帰るのがいつもの楽しみだっ
  た。


   ――そんなある日、
  十字路の左側角の生垣に囲まれた大きな屋敷の長尾さん
  のお爺さんが、「俺はネコが嫌いなんや」と庭箒と袋ら
  しきものを持って猫を捕まえようとしていた。
  猫は素早く側溝の暗渠(あんきょ)の下へ素早く逃げ
  た。
  「どこにでもクソして、臭いんじゃ」――と、
   お爺さんは怒っていた。
  男が少し先に行って、振り向くと、猫は遠くから男が去
  って行くのを見送っていた。
  「あの猫は、ミーちゃんだったのかな?」
   男は、お爺さんに捕まって、保健所に連れていかなけ
  ればいいがと心配した。
   翌日、そこを通ると、長尾さんの北側の用水路の柵に
  〈猫にエサをやるな〉と書かれた張り紙が吊り下げられ
  ていた。
   可哀想だからと言って野良猫に餌を与える人がいる一
  方で、近隣住民が野良猫の糞害や悪臭などで困ってい
  る。餌やりで飼い主のいない野良猫を増やしてしまうと、
  野良猫にとっても人間にとっても不幸なことで、無責任
  な餌やりは有害であり、慈悲の心は、むしろ身勝手な
  虐待行為と言えるのではないか? 
  人間の生活圏で共存している野良猫は野生動物と言え
  ないかもしれないが、人間から自立して、戸外を自由に
  行動し餌を獲得することのできる野良猫の生態に、人間
  はむやみに関与してはいけないのだと男は改めて思った。
 
   生ごみ収集日に、三軒目の中田さんと四軒目の岡田さ
  んが、ゴミ出しに来て、ゴミ置場で立ち話を始めた。
  「お早うさん、可哀想だからってノラ猫にエサを与える
  のは迷惑よねぇ、増えても困るし、ゴミをあさるし、ろ
  くなことがない」
  「公園の砂場や家庭菜園が糞尿で困っているのに、エサ
  やりは自己満足で偽善で無責任よね、飼って世話をする
  気もないくせにねぇ」
  「あの人懐っこい猫は太っているよね、伊藤さんか弘田
  さんとこで、キャットフードをあげてるんじゃない?……」
  「あの猫、伊藤さんとこの店の入り口で高校生らが通る
  と、ミャーミャー鳴くんだって」
  「愛想がいいから、猫好きの高校生らがいつの頃からか
  ミーちゃんて呼んでるんだって」
  「ミーちゃんね、可愛い猫だけど、どこから来たのかし
  ら? 何となく他のノラとは違うわね、向かいの長崎さ
  んのお宅辺りから出没する三毛猫は、私を見るといつも
  おどおどして警戒心が強いから、好きになれないわ」
  「あの人懐っこいキジ柄の猫は、あいさつをするかのよ
  うに鳴いて寄ってくるから、ほだされて飼おうかと思っ
  たことがあったけど、大きくなり過ぎてるから、懐かな
  いだろうし、しつけも難しいだろうと思い飼うの諦めたの」
  「顔の下半分が白いから白キジ猫ね、顔に気品みたいな
  ものを感じるわよねぇ」
  「高校生らがミーちゃんって呼んでるの、! そう言え
  ば、五時頃になるとその猫は、弘田さんとこの白いブロ
  ック塀の上から、誰かを待っている様子で、自転車に乗
  った男の人が通りかかると、塀から飛び降り鳴きながら
  自転車に駆け寄ったの、男の人は〈ミーちゃん待ってた
  んか、ありがとう。ただいま〉って言ってた。
   あの男の人もミーちゃんって呼んでた。あの男の人も
  エサをあげたことがあるんじゃない、猫がすごい懐いて
  いたわ……」
  「あの猫はエサには不自由していないってことね、それ
  で丸々と太っているのね」
  「いやぁ、猫は生後六ヶ月位で妊娠が可能になると言う
  から、赤ちゃんがいるのかもよ」
  「あらぁ! ノラ猫が増えるのは困るわぁ」
   とご近所の奥様同士が猫の話をしていた。

   世に招き猫の由来の伝説が数々あるように、繁盛する
  お店には看板猫がいたりする。
   御多分に洩れず伊藤商店もミーちゃんが入り口付近で
  居つくようになってから、ミーちゃんは店の看板猫にな
  り、店の前を通る学生たちが「可愛いと言って」ミーち
  ゃんに招かれたように店内に入り何かしら買い求めるよ
  うになり、ミーちゃんは売り上げに貢献していた。
   伊藤さんご夫婦はいつの頃からか、首輪を着けずに、
  野良猫のまま外飼いをしていた。
  というのも、奥様はそんなに猫が好きではなくて、保護
  してあげたいけど家の中では飼えない、何度も店の裏の
  勝手口に来ては鳴く野良猫の可愛いらしさに、人間なら
  誰しも備わっている慈悲の心が引き出されてしまった。
   最初は、勝手口のドアを開け、モルタルのステップの
  ところで餌を与えていたが、奥様の方も野良猫に懐いた
  ころ、ドアを開け中に入れ、勝手口の中に入れ、土間の
  コンクリートのところで餌を与えるようになった。
   食べ終わると、外に出してと鳴くのでドアを開けてや
  ると、お礼を言って出て行き、店の入り口に周り、ドア
  の端っこで毛づくろいをしながら、看板猫をするように
  なった。 
   子供が独立して二人きりになった夫婦は会話も少なく
  なり、夫婦関係が冷めきっている感じだったが、ミーち
  ゃんを通して会話をするようになり、夫婦が気付かない
  うちに、優しさ、気づかい、思いやり、心に温もりが自
  然と戻り、会話も増え笑いも増えた。
   野良猫を飼う場合、動物病院へ連れて行き、感染症に
  かかっていないかノミやダニがついていないか、異常繁
  殖を防ぐために不妊手術もしなければなりません、しか
  し、伊藤さん夫婦はそこまでの知識も無く、考えが及ば
  ないまま、ミーちゃんを外飼いしていたのです。
   男がミーちゃん通りと称した地域猫としても皆さんか
  ら可愛がられるようになった。

   ――男が仕事帰りにミーちゃんに会いたいなぁと思っ
  て通っても見かけなくなった。「ミーちゃん、ミーちゃ
  ん」と小声で呼び続けても、どこからも現れることはな
  かった。ひょっとして保健所にでも連れて行かれたのか
  なと心配をしていた。
   野良猫の生態を調べてみると、過酷で毎日がサバイバ
  ルである。ペットして飼われている猫は十五歳前後まで
  生きるが野良猫は五歳までにほとんどが亡くなってしま
  う。子猫が成猫になれるまでの生存率が五十%以下でと
  ても低いことが分かった。
   テレビで犬や猫の殺処分ゼロを目指す自治体の収容施
  設や民間の動物愛護団体や行政が抱えている問題が取り
  上げられていた。地域の住環境が悪くならないように、
  猫と人が幸せに優しく共存できる社会を目指す活動を、
  自治体と民間の動物愛護団体とが協力し合って、野良猫
  の繁殖を抑制し、殺処分ゼロをめざし「TNR」活動を
  していると言う。 
   野良猫を捕獲して不妊と去勢手術を施し手術後は目印
  になるよう耳を少しカットする活動に取り組んでいる。
  そう言った活動支援の予算は民間からの寄付による『ど
  うぶつ基金』ですべてをまかなっているという。
   ある地域では、動物愛護管理センターを設け、獣医師
  を常駐させ、犬猫の救命や飼養管理の強化を図っている
  と言う。 
   男は、殺処分ゼロを目指している行政や、取り組んで
  いる自治体や民間団体が増えて来ていることを知り。
   ――胸を撫で下ろした。

   ――そんな頃に、
   伊藤さんの勝手口の通路の少し奥の軒下の、エアコン
  の室外機やビールの空き箱の並びに、屋根付きのペット
  ハウスが作られていた。
   猫がまたいで入れる箱の中には小さな座布団が敷かれ
  た段ボール箱がすっぽりと入れられ、人目につかないよ
  うに母猫が安心できる出産場所がこしらえてあった。
  その箱の中でミーちゃんは六匹の子猫を産んでいた。

   男がミーちゃんのことを忘れたころ、二軒目の弘田さ
  ん家の白い塀の上にミーちゃんが現れ、男が近づくと塀
  から飛び降りて、自転車に近寄って来て鳴いたり、柵に
  体をこすって、甘えるような仕草を見せた。
   男はミーちゃんに会えて嬉しかった。
  「久しぶりだね、どうしていたの、元気だったかい」
   ――と、話しかけた。
   久しぶりに見たミーちゃんの左耳の先が、ちょん切ら
  れたようになっていた。
   家に帰って男がその話をすると、男の妻は、
  「それは避妊手術をしてある印で、桜の花びらに形が似
  ていることから『さくらねこ』と呼ばれているわよ」
   ――と、教えてくれた。
  「そうなんだ、何だか痛そうだなっ」
  「これ以上不幸な猫を増やさない、不妊と去勢手術が何
  よりも大切なんだってさ」
  「不妊と去勢手術か、自然の生態系に反した人間のエゴ
  かも知れないけど……野良猫が増えるのもその地域にと
  っては問題だよねぇ」
   メスの出産後の手術は、出産後四十五日以降が目安
  で、仔猫が親と同じ食事ができるようになり哺乳が終
  われば可能だと言う。
   伊藤さんご夫妻は、仔猫が乳首を吸うのを親猫が嫌が
  り離乳を促し、哺乳を完全にしなくなるのを待って避妊
  手術を済ませていた。
   ――そして、里親探しを始めた。
  段ボール箱に入っている子猫を店の入り口に置いて、
  〈誰かもらって下さい、可愛い猫ちゃんたちです〉と書
  いて張り紙をした。
   自治会長さんに回覧板で猫の里親探しができませんか
  と相談したが回して貰えなかった。
   それで、伊藤商店です。《誰かもらって下さい、可愛
  い猫ちゃんたちです》と書いて、子猫たちの写真を載
  せ、ノラ猫の餌やりの問題や、地域猫の不妊去勢手術
  (TNR)について書いたリーフレットをご近所の十三軒
  の各家にポスティングした。

   六匹の子猫のうちの二匹は店の入り口に置いたその日
  の夕方に、高校生の男の子と女の子のふたりに貰われて
  行った。
   ――数日のうちに残りの四匹も里親が決まった。
  そのうちの一軒の里親は伊藤さんも予想外の驚きだっ
  た。猫が大嫌いだと薄々知っていた大きな屋敷の長尾家
  のお爺さんが小学一年の孫娘と一緒に伊藤商店にやって
  きた。
  「孫が写真で見た子猫が可愛いから欲しいといって駄々
  をこねて困ってるんですわ、その猫はまだおりますか? 
  ちょっと見せてくれませんか、見たい言うてきかないん
  ですわ」
   伊藤さんは店の片隅から子猫が入っている段ボール箱
  を抱えて来て入り口付近に置いた。
  長尾のお爺さんはしゃがんでどの猫かいなと孫娘に聞い
  た。
  すると孫娘は指を差して、
  「じいちゃん、写真で見たのは! この子や頭と背中と
  尻尾が黒い、この子や!」
   この子かとお爺さんが手を出すと、鼻をこすりつけて
  きた。お爺さんが両手を出したらその子猫は足を載せて
  きたのだ。子猫の下にそっと両手を入れるとお爺さんの
  手のひらに乗ってきた。子猫を両手で包み込むように持
  ち上げると、嬉しそうにミャァミャァと鳴いた。子猫の
  可愛さにお爺さんはイチコロで、お爺さんの猫嫌いはど
  こかへ行ってしまった。
   孫娘と話し合って家飼いすることにした。
  孫娘と一緒に可愛がりしつけをしているうちに猫への気
  持ちはがらりと変わっていった。

   あとの三匹は母猫がミーちゃんであることをあらかじ
  め知っていたご近所の会社勤めの弘田さんと三軒目の教
  職員をしていた中田さんのお家へ、もう一匹は平屋一戸
  建てにお住いの佐野さん宅にもらわれて行った。高齢者
  のお二人がお住まいの佐野さんの奥様が腰が思わしくな
  く、バリヤフリーにリフォームされたお家の中で車椅子
  生活をしていた。
   猫を飼えば幸せなことが多くあります。飼い主と猫が
  癒し癒され、寂しいときや嫌なことがあったとき、猫を
  撫でたり、猫に甘えられたり、ゴロゴロとノドを鳴らさ
  れたりすると落ち着きを取り戻します。

   里親に貰われていった子猫ちゃんたちは、どの家も外
  で飼わない室内飼いをしていた。
  室内飼いにした理由は、どの家もほとんど同じで、外で
  汚れた足で家にあがられのが汚い感じがして嫌だから、
  野良猫とのケンカや車による事故に遭う危険性を避けた
  い。ご近所のお庭や花壇で排泄し、ご近所に迷惑をかけ
  トラブルの原因になるから、他には外飼いは病気や寄生
  虫に感染するリスクが高いから、などが理由に挙げられ
  ていた。
   猫にとっては外に出られないストレスや運動不足で肥
  満になりやすいなどがあると言われていますが、室内外
  には事故や様々な病気から猫を守り、長生きするという
  メリットがあります。猫が運動不足にならないように遊
  べる環境を積極的に作りましょう。
 
   イギリス王立協会の専門誌が、健康の観点から、猫は
  室内飼いを推奨するとの研究結果を発表したという。
   その一方では、家の中でネコを飼うのは嫌だという意
  見もあります。
   柱や戸のさんや家具などで爪をとぎキズだらけにした
  り、物を倒したり壊したり、外に出せと夜鳴きをした
  り、噛みついたり、引っ掻いたり、走り回ったり、ニヤ
  ァ〜ニヤァ〜うるさく鳴いたり、排泄の粗相をしたり、
  毛玉を嘔吐をしたりして、家が汚れ臭い匂いがして、毛
  が抜け落ち不潔なのでとても飼えないという。
   何はともあれ、命あるものを飼うのですから、猫が本
  当に好きなら家族の一員として愛情を注ぎ、生涯お世話
  ができるか真剣に考えて、室内飼いの覚悟をすることが
  大切です。
   猫を飼えば大変に思うこともあります。猫の習性だか
  ら、動物だから仕方ないと寛容になれる人でないと生涯
  の面倒は見れません、飼った以上は、ご近所迷惑になら
  ないよう、マナーを守って飼わなければいけません。

   ――子猫が里親さんに貰われて行ってから、一ヶ月経
  ち、二ヶ月経ち、三ヶ月が過ぎた。

   長尾家のお爺さんは、孫娘とどんな名前をつけようか
  と相談した結果!「チロ」と名付け、お爺さんはすっか
  り子猫に懐かれ膝の上で甘えるから可愛くてしょうがな
  い、孫娘が学校から帰るまで、何かと世話をやいたり相
  手をするのが楽しみになっていた。

   バリヤフリーの佐野さん宅では、メイちゃんと名付
  け、ご夫婦は可愛がっていた。
   腰の具合悪くて車椅子生活だったご高齢の奥様に奇跡
  が起き初めていた。
  「あなた、この子ったら、私の足の甲の上に乗って来る
  のよ、ですからね、こうやってかかとをつけたままだけ
  ど、動かしてやるの、そしたらメイちゃんが喜ぶのよ、
  そのうち落っこちるでしょ、そしたら今度は左足に乗っ
  て来るの、足の上に乗って遊んでってせがむのよ、
  だから、こうやって動かしてやるの」
  「ふうん、お前のことがよっぽど好きなんだね、メイち
  ゃんの方がお前の遊び相手になってくれてるんじゃない
  の! 可愛いねぇ」
   と嬉しそうなご主人日に何度も猫にせがまれ足で遊び
  相手をしていた。
   ――猫が少し大きくなり、足首にしがみつくようにな
  った。
  「あら! メイちゃん重いわよ、こうしてほしいの、ぶ
  らーん、ぶらーん、ぶらーん」
   車椅子に乗ったまま、膝から下をゆらしながらメイち
  ゃんと遊んだ。しんどくなって休むと、今度は左足に抱
  きついてきて動かせと顔を見ながらミヤァ〜ミヤァ〜と
  鳴いた。
  「あら! ダッコちゃん見たいね、今度はこっち、ぶら
  ーん、ぶらーん、ぶらーん」
   膝から下を揺らしたり、太ももの上に乗ってきたのを
  あやしたり、そうこうしているうちに、猫を相手に足を
  動かしていたことが軽いリハビリ運動になり効果が現れ
  た。
   奥様が車椅子から立ち上がるとベッドに手をつき体を
  支えながらも歩くことができた。それから積極的に車椅
  子に座ったまま、足を上げたり伸ばしたりして膝から下
  を上げ下げし、軽い運動をしながらメイちゃんと遊ん
  だ。
   そしてついに、車椅子生活をしていた奥様が歩行器を
  使って立って歩けるようになり、気分や体調が良くな
  り、天気の良い日は歩行補助杖をついてバランスを保ち
  ながら、庭を歩けるようにまでなった。

   伊藤商店から二軒目の弘田さんのお家では、子猫の室
  内飼いに必要なものを揃えたり、トイレのしつけなど全
  般を一人息子の克也くん『カッちゃん』がすべてやって
  いた。
   弘田さんご夫妻が里親にならせて下さいと、伊藤商店
  に子猫をもらいに行ったのは、弘田さんのご主人が会社
  の休憩時間にパソコンを触っていて、『猫は発達障害に
  も効果がある』と言う記事を目にしたからだった。
   発達障害を持った人は、対人コミュニケーションが上
  手に取れず悩んでいるケースが多く孤立してしまいま
  す。そんなときに猫は発達障害の言葉の壁も関係なく信
  頼関係を築いてくれます。と言う記事を読んで、弘田さ
  んは、猫を飼おうと決心したのだった。
   そのためには、何よりもカッちゃんが猫に愛情を持っ
  て接することができるかが一番の心配事でした。
   もらって来た日の朝はカッちゃんが登校した後だった
  ので、子猫が家にいることなど知りません、弘田さんご
  夫妻は、子猫をリビングに置こうか、廊下に置こうか、
  カッちゃんの部屋の前におこうか外が見える窓辺はどう
  かと、作戦をいろいろと考えた。
   その結果、さりげない作戦でいこうと言うことにな
  り、カッちゃんが下校する時間に合わせ段ボール箱にタ
  オルを敷いて玄関の上がりがまちの上に置いた。
   弘田さんご夫婦は妙な期待感が溢れ、胸がドキドキす
  るのを抑えながら、今か今かとリビングで耳を凝らして
  待っていた。
   ――ガチャと玄関の方で音がした。子猫が、
  「ミヤァ〜ミヤー」――と鳴いた!
  「おおおおおお母さ〜ん」
   驚いてカッちゃんはお母さんを呼んだ!
  ご夫婦はリビングから飛び出し玄関へ! 
   カッちゃんは、玄関で立ったまま、子猫をそっと両手
  で抱え胸に抱いていた。
  「このネコ……どうしたの?」
   と言っているカッちゃんの顔が、幼児期に欲しがるも
  のを与えた時に嬉しそうに喜んだときと同じ、あの顔に
  なっていた。
  「その子猫なぁ、《誰かもらって下さい、可愛い猫ちゃ
  んたちです》
  と書いてあったチラシの子やねん、ウチで飼ってもいい
  かなぁ」
  「ぼぼぼぼボクが飼う」
  「えっ! カッちゃんが世話してくれるのん」
  「ボクが飼い方を調べて、チャンとする」
  「じぁ、全面的にカッちゃんがお世話をするのよ、カッ
  ちゃんが学校に行っている間は、お母さんが面倒を見て
  あげるからね」
  「うん、分かった」
   すぐに、お父さんが運転する車でホームセンターに行
  き、猫を室内飼いするための必須アイテムを店員に聴き
  ながら買い揃えた。
   ホームセンターの帰り、猫を室内飼いをするための知
  識を勉強するために本も買った。
  「お父さん、おカネがずいぶんかかったね」
  「そんなことはないよ、これから何年間か、家族の一員
  として、カッちゃんとお父さんとお母さんの三人の癒し
  相手になってくれるんだから、お金がかかったうちに入
  らないよ、お金に換算できない福が来るかもな」
  「そっかぁ! ……福か! お父さん、ネコの名前『フ
  ク』にしようよ。フクがいいなぁ」
  「フクか! いいね! カッちゃんが名付け親だ! お
  母さんもいいと言うよきっと!」
   家に帰りつき、購入したものを玄関に運び終わると、
  段ボール箱に入っている子猫を大事そうに抱え上げ胸に
  抱きすくめると、
  「お母さん、ネコの名前『フク』にしたよ」
  「ふく、……幸福の福ね、いいじゃない」
  「フクくん、フクちゃん、どっちがいい?」
  「まだ小さいから、フクちゃんがいいんじゃないの、福
  を呼ぶアメージングキャットね」
   お母さんのジョークが分かってか? カッちゃんは珍
  しく声を出して笑った。
  「フクちゃん、可愛いなぁ、ヨチヨチ」
   と言ってフクちゃんの頭をそっと撫でているカッちゃ
  んの顔に生気がみなぎっていた。
   そんなカッちゃんの顔を見てお母さんは、フクちゃん
  にうちの子になってくれてありがとうねと呟くように心
  のうちで感謝をした。
   カッちゃんが小学校入学後に、発達障害の自閉症『ア
  スペルガー症候群』が発見された。
  知的発達に明らかな遅れはなく、言語も知能も特に遅れ
  ているとは思わなかった。
   自閉症の特徴を有しているという点に於いても、手が
  かからず一人遊びを飽きずに続けるおとなしい子やなぁ
  と思って居たくらいで、顕著な問題は感じられなかった
  ため、幼児期にご両親は自閉症とは気づきませんでし
  た。
   だが小学生になって、友人関係が上手くいかない、会
  話が出来ない、他の子に興味がない、団体行動ができな
  い、皆んなと一緒に遊ばないなどの特徴が見られるよう
  になった。
   自閉症の傾向がありますと診断された後に、幼児期に
  みられた自閉症の傾向がわかった。人といっしょに遊ば
  ない。同じ遊びばかりしていた。公園に連れて言っても
  砂場でごっこ遊びをしなかった。他の子に興味を示さな
  かったなど……、思い当たる兆候があった。
   発達障害といっても、一人ひとりの症状は多様で、そ
  の子の個性や状態像は多様。また、同じ診断名でも、子
  どもの個性や人格があり、知的障害を持たない高機能の
  子も多く、障害という一般的なイメージとは異なり、発
  達障害がという言葉でひとくくりにするのは間違いで、
  一人ひとりの知能や個性をちゃんと理解して支援するこ
  とが大切である。

   ――「日本自閉症協会」のパンフレット、自閉症を知
  っていますか? 望むのはあなたの「心のバリアフリー」
  からの引用だが、―― 
  1.自閉症って何だろう
 自閉症のある人は自ら閉じこ
  もっているのではありません。
  また、乳幼児期に適切な養育がなされなかったために、
  心を閉ざしてしまったというような状態でもありませ
  ん。
 自閉症の原因は、まだ確定されていません。
  「親の養育態度が一次的な原因ではない」ことは明らか
  になってきました。
 
   現在のところ、「先天的に中枢神経系の働き(主とし
  て認知の機能)に問題があり、そのために情報伝達がス
  ムーズにいかないことによる社会的・対人的な認知やコ
  ミュニケーション能力など広汎な領域における発達の偏
  りや遅れ」と考えられています。
  「いくつかの遺伝子の配列異常と、何らかの他の原因が
  複雑に絡み合って、中枢神経系の働きに障害が起きてい
  るのではないか」と考えられています。
 近年、自閉症
  の特徴の表れ方は多様であることがわかってきました。
  知的障害のない自閉症は「高機能自閉症」と呼ばれます。
  言葉の遅れがないタイプは、「アスペルガー症候群」と
  呼ばれます。……と書かれてあり、
  日本自閉症協会監修『自閉症とともに』自閉症の理解と
  支援に役立つDVDが作られている。――

   自閉症の原因は、まだ確定されていないとしながら
  も、親の育て方が原因ではないことが明らかにされたこ
  とが、カッちゃんのご両親にとって嬉しいことで胸を撫
  でおろした。

   カッちゃんはフクちゃんが待っているのが嬉しくて、
  学校から走って帰って来ると、「ただいまぁ〜」と元気
  に言うようになった。 
   また、フクちゃんのエサが切れそうになるとボクが買
  って来るといい、フクちゃんに話しかけていた。
   ――そんなある日、奇跡が起こった! 
   カッちゃんがフクちゃんを見せたいからと、級友をふ
  たり家に連れて来たのだ! フクちゃんは級友のふたり
  に対しても怖がらず、ニャァ〜ニヤァ〜と愛想良く鳴い
  た。
  「可愛いなぁ〜、フクちゃん、フクちゃん」
   もう一人も可愛い可愛いと言って嬉んだ。それを見て
  いたカッちゃんは、フクちゃんが褒められたことが嬉し
  くて大はしゃぎをした。
  そして、級友と喋り合い大笑いをしていた。
   自閉症の傾向があると診断されたカッちゃんのライフ
  スタイルがフクちゃんによって、心が開き障害の進展が
  見られるようになった。
  「フクちゃんが来てから大きく変わったのよ」
   とおかあさんは目を潤ませた。
  「カッちゃんの不安な気持ちを無くし、日々の活力を生
  み会話も多くなり明るくなった。自分の気持ちを表現出
  来るようになり、他人とのコミュニケーション能力も向
  上して来たのは、他でもないフクちゃんのおかげです。
   将来はカッちゃんの才能を活かして生きて行って欲し
  いと願うばかりです」
   ――とお父さんは涙ながらに言った。

   三軒目のご夫婦ともに教職員をしていた中田さんのお
  家では、子供ふたりは独立し、お婆ちゃんがアルツハイ
  マー型認知症を発症して三年目になり家庭介護をしてい
  た。
   子猫の里親になった動機は『アニマルセラピー』とい
  って、介護施設などで動物による介護療法の効果を知っ
  たからだった。
   中田さんのお家では、レイちゃんと呼んで、可愛がっ
  ていた。認知症のお婆ちゃんのケアやあらゆる面でお婆
  ちゃんを癒してくれるセラピーキャットだと言って喜ん
  でいた。
   人間の表情や体を撫でたりさすったりする触れ合いか
  ら猫は人間の愛情を感じている。
   お婆ちゃんがベッドで横になっていると、お布団の上
  でゴロゴロ音を鳴らしてくれる。お婆ちゃんが椅子に座
  っていると膝に上がり、甘えたりかまって欲しそうに鳴
  いたり、ゴロゴロとノドを鳴らして癒される。
   レイちゃんと一緒に過ごすようになってから、中田さ
  んご夫妻は可愛い孫を得たようにレイちゃんを可愛が
  り、ご夫婦の円満度も上がった。レイちゃんの世話をし
  たり話しかけたり遊び相手になったり、自発的な行動を
  するようになり、レイちゃんによって、お婆さんはリラ
  ックスし癒し効果を得られ、認知症の自然治癒力が高ま
  り、良い変化が現れた。それまでは暗い顔になりがちだ
  ったお婆ちゃんがにこやかな表情で穏やかな時間を過ご
  せるようになった。
   そこには、アニマルセラピーと言われる人間と動物の
  関わりを超えた愛情を感じた。

   男は仕事帰りにミーちゃんをあまり見かけなくなっ
  た。初めて出会った日から丸々一年が過ぎて、あの日と
  同じように、西日が低く屋根や道路を照らしている秋の
  日の夕暮れ間近、学校を通り過ぎて十字路を渡った前方
  の右側二軒目の弘田さん家の白い塀に向かって高校生の
  男女が二人立っていた。
   よく見ると塀の上にミーちゃんが箱座りをしていた。
  男の自転車が近づくと同時に高校生たち二人はゆっくり
  とその場から離れた。ミーちゃんは塀から飛び降りニャ
  ーニャー鳴きながら斜めに駆け寄り男の自転車の前や横
  にすり寄って来た。
   男はかまって欲しいと鳴いているミーちゃんの顔に左
  手を伸ばし指先で撫でようとすると、その指先に鼻を近
  づけ体をすりすりと寄せてきた。
  「ミーちゃん、ただいまぁ、待っててくれたん、ありが
  とう。何も持ってないねん、ごめんね、またね、元気で
  ね、ばいば〜い」
   と言いながら、男は初めて少し太り気味のミーちゃん
  の体に触れることができた。――
   ミーちゃんはミヤァ〜ミヤァ〜言いながらゆっくりと
  動く自転車に束の間ついてきたが、ふれあいセンターの
  手前で前足を揃えて止まりお座りをして男を見送っていた。
   六甲山系に沈む夕日が空と雲を赤く染め、家に帰る男の
  顔を真正面から照らしていた。

                     「完」











  
posted by てらけん at 11:18| Comment(0) | 青い屋根だより | 更新情報をチェックする

てらけんのメールに届いた。小説『けっ!くだらん』を読み終えて…。

 
 小説『けっ!くだらん』を読み終えて

  けんちゃん今晩は!
 感想文、〜小説『けっ!くだらん』を読み終えて〜
 をお届けさせていただきます。

  小説『けっ!くだらん』を読み終えて

 誠に読み応えのある小説です。
 持病のめまいのため読み終えるのに三日もかかりましたが、
 不思議なことに読み終えた後、気持ちが爽やかになりました。

 読了日が令和元年11月11日。
 当小説の183p、「最後に」の日付が平成29年11月11日でした。
 「けっ!くだらん」ようですが、どちらも同じ日付に不思議な「縁」を感じております。

  第一章 『青』

 ふるさとの母なる我が"熊木川"。童謡・唱歌「ふるさと」の歌詞そのものですね。
 幼い頃の夏休みのおもな遊びは川遊びでした。当時、男の子は水泳パンツなど珍しく
 殆ど“黒猫ふんどし”。
 小説に描かれた内容はどれもこれも身に覚えのあるものばかりです。
 私は鮎釣りが得意でした。毛ばりにはそれぞれ名前がついています。
 水の色と時間によって針を替え、川辺の淀みに釣るのが秘訣です。
 それに、お袋のレシピだが、鮎は焼いて酢味噌に付けて食べるのが一番美味しい。
 誰が言った言葉か忘れたが、「味の記憶は永遠である」と言う。

 かつての"熊木川"は清流で多様な魚類や生物が棲む宝庫であり、子どもたちが生きた
 自然に触れる貴重な川でありました。
 なお、旧中島町の象徴として指定された<鳥>は"熊木川"に棲む「カワセミ」ですし、
 ちなみに<花>は「ササユリ」であります。
 現在のその川は水害対策の護岸工事が原因で昔の面影がなくなりました。
 「カワセミ」の姿もなかなか見られない状況です。
 トンボや蛍が飛び交うかつての姿は今どこに行ってしまったのでしょうか。
 ドブ川であろうが清流であろうがどの川も必ずその源流の一滴がある。
 それをたどり尋ねればおのずと答えがそこにあります。

  なお、昔の清流を取り戻し、保存するには川の生態系を破壊しないことです。
 まず、微生物が清流をつくる。そこでは植物プランクトンが育ちます。水生昆虫などを
 魚類が食べ、野生動植物へと命を繋ぐ。
 それに、土手をコンクリートで吹き付けるなどの工法は川の命を奪います。
 川は息をしており生命体そのものなんです。
 その生命体は他の生命にも恩恵を与え「永遠の命のリレー」を織り成して循環している。
 自然の摂理であります。
 それは自然界のいろいろな生き物たちが織り成す生態系の法則であります。

  私は現在の河川土木工事はどのようになっているのかと、調べてみました。すると、
 『多自然川づくり』と言う概念が確立されていました。
 国土交通省による『多自然川づくり』とは“自然環境の喪失を懸念する住民から、
 各種開発の差し止め請求が起こるようになり河川も例外ではなく、ダムやコンクリート
 護岸も問題視されるようになったことを踏まえ1993年(平成5年)に成立した環境基本法では、
 公害対策基本法で規定されていた生活環境の保護に加えて、環境の保全が規定されている。
  そして1997年(平成9年)には、河川法も改正され、従来までの「治水」、「利水」に加え、
 「河川環境の整備と保全」が盛り込まれた。
 『多自然川づくり』に基づいた河川改修では、極力、改修前の自然環境のしくみを維持する
 ことを意識している。そのため、施工箇所に存在する植物や木、石などの素材を利用したり、
 自然の生み出す流速や川幅、水深、植生の変化等を残したりするよう努めていてコンクリート
 護岸による直線水路ではなく、河川の自然環境を活かした、水際の変化に富んだ河川構造と
 なっている。
  また、河川全体の自然の営みを視野に入れ、地域の暮らしや歴史・文化との調和にも配慮
 することが重要となるとなっている。(”国立環境研究所ホームページより引用。)

 熊木川の護岸工事はいつ頃行われたか存ぜぬが河川法が改正されてからであればときっと
 違っていたかも知れぬ。

  第二章 『赤』

  羽咋市滝町の別荘界隈では今、赤とんぼの乱舞の季節。複数の種類が飛び交っています。
 興味を持ってネットで調べて見るとなんと種類の多いことか。
 なお、去年ここでオニヤンマを見た。また、少年時代に故郷でみたギンヤンマはそれ以来、
 出会っていない。
 オニヤンマは同じところを往復して飛ぶので大きなタモがあれば比較的に捕りやすい。
 また、故郷ですっかり見ることのできないシオカラトンボをこで見ることができて喜んでいる。
 なお、将来、庭に小さなWビオトープWを設けたいと思っている。楽しいことになると思う。

  第三章 『黒』

  基本的に、シマミミズが釣り餌に良い。特にフナ釣りには当ミミズである。
 ナマズは大きい泥ミミズでハエナワ漁である。
 そして、鯉はふかしたジャガイモをタンゴ状にして釣る。
 また、干潮になるとススキやサヨリが遡上してくる。
 夜、懐中電灯の光で集まる浅瀬の鮎をタモですくう。
 当時誰もやっていない捕り方だと自負している。
  ある日、石亀を捕まえたら、お袋がお酒を飲まして逃がしてあげなさいと言われ川に帰した。
 それに、フナが目当てなのにキンチョウ(ゴリ)やへチャ(タナゴ)がよく釣れた。
 直ぐにそれを川に放す。
 ボラを投網で捕る人もいた。モガニを竹で編んだザルに餌を付けて捕る名人もいた。
 また。春に遡上するイサザは金網と竹でできた舟形網を浅瀬に沈めて静かに待つ。

 なお、私は海から遡上する鮎とイサザしか食べなかった。

  第四章 『橙』

  親父の先祖が釶打の古江です。今W古江焼きWと言う焼き物を時々目にします。
 これは七尾の地域資源であるケイソウ土を、花器・植木鉢に加工し、中島地区古江の
 特産品「古江焼き」として市の育成支援を受けています。
  また、定かではありませんが、西谷啓治(”日本の哲学者。京都学派に属する。
 京都大学文学部名誉教授、文化功労者。(” ウィキペディアより引用。)の姓の西谷は
 西谷内から来ているとか、何かの本で読んだ気がするのだが思い出せません。

 ご先祖さんが西谷内の出身なのか、著名な方なので調べてみるのも面白いかも知れませんね。
 なお、霊水「座主の水」の近くで当水を使った蕎麦屋がありました。
 随分昔に一度寄りましたが今はどうなっているかわかりません。
 流行っているといいのですが。

  第五章 『茶』  第六章 『緑』

  加賀先生の『私の人生抄』を読んでみたいものです。と、思ってネット検索した
 ところ出て来ました。なんと、けんちゃんのブログの中でした。
  読んで感動いたしました。ここではその感想等を述べさせていただきます。
 その前に、先生の書の冒頭に出てくる「貧富禍福一如」のW一如¨で紹介させていた
 だきたい話があります。それは、あるお坊さんのお通夜でのお話であります。

 「生死一如」とは、生も死も離れていません。紙の「表裏」の関係です。"表裏一体”です。
 「裏」である嫌いな「死」を無くすように削って、削っていたら「表」の「生」が
 台無しになったと言う面白い話です。「言い得て妙」ですね。

  また、数え年と言うのは仏法の教えからきており元々の意味は生まれた時に一つの
 「命をいただく」のでそこを一歳とする。
 そして、一月一日に新たに「命ををいたく」それで数え二歳となる。
 この話よって、これは時の流れの時間ではなく「いただく命」のことであったかと、
 気づかされました。
 私達はそのように「命をいただいき」ながら「生かさせてもらっている」のです。
 他力ですね。

  (一) 貧苦の妙薬に生かされて

  先生は信仰深く慈悲に満ち溢れた母の影響があって、生活の中に仏法が生きていたのですね。
 偉大な方の伝記を読むと最後の結びには必ずと言っていい、母の事が書かれています。
 いかに人は母の影響が大きいか、物語っています。

 「十億の人に十億の母あらむも 我が母にまさる母ありなむや」
 ”宗教家・哲学者の暁鳥敏(あけがらす・はや、1877−1954)の歌である。
 彼の母親が亡くなったときに作られた『母を憶う歌』370首のうちの1つであります。
 現代語訳:世の中のすべての人には母親がいる(いた)。しかし、自分の母親よりも素晴らしく、
 そして尊く有り難い存在は、この世のどこを探してもいない。となります。
  この歌の凄いところは、自らのことを語っていながら、十億人のすべての人に該当して
 しまうことであります。「うちの母親は世界一だ」「いや、うちの母親のほうが上だ」と
 いったランキング争いではありません。(”犯罪被害者の法哲学のブログより引用。)

  そうなんです。皆さん一人一人もこの歌のように、そうですよ。と歌っているのです。
 そして、彼は母の死に接し何ヶ月も泣いていたそうです。
 ついでに、もう一つ暁鳥敏の歌を紹介しましよう。
 「とにかくに われに尊き われを産みし母なりければ われにいみじき」「いみじき」とは
 善と悪に対してもいうことばですが、この場合は「素晴らしい」「最高だ」という意味です。

   母という字を書いてごらんなさい
   母という字を書いてごらんなさい
   やさしいように見えてむずかしい字です
   格好のとれない字です
   やせすぎたり 太りすぎたり ゆがんだり
   泣きくずれたり 笑ってしまったり
   お母さんにはないしょですがほんとうです 
    ー サトウ ハチロウ ー

  『父母恩重経(ふぼおんじゅうきょう)』(父母の恩をわかり易く説いたお経)に、
 「父母の恩重きこと天の極り無きが如し」また、「己れ生ある間は、子の身に代らんことを
 念(おも)い、己れ死に去りて後には、子の身を護らんことを願う」とあります。
  自分が生きている間は、子供のためには自分の身の危険をも顧みない、この世を去って
 から後も子供を護りたいと願うという、正に、命をかけた無償の愛、それが親心なんですね。

  (二) 小・中・高教師を遍歴して

  ここでも母の慈愛の心、恩愛がでできます。
 求道の精神や参禅、先に述べた暁鳥敏師のこと、桜井鎔俊和上について述べられていますね。
 「称ふれば我も仏もなかりけり南無阿弥陀仏の声のみぞして」これは一遍上人の歌です。
 先生の念仏三昧を伺い知ることができます。

  「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候死ぬ時節には
   死ぬがよく候これはこれ災難をのがるる妙法にて候」
  ”江戸時代の曹洞宗の僧侶である良寛の言葉です。
 一八二八年の冬、良寛が七一歳の時、住んでいた新潟の三条に一五〇〇人以上の死者が
 出る大地震が起こりました。幸いにして、良寛自身には被害はなかったのですが、子供を
 亡くした山田杜(と)皐(こう)に送った見舞い状にこの一文が出てきます。
  災難に逢うときは災難に遭い、死ぬときには死ぬしかない。私たちがどんなに手を
 尽くしてもそれは変えられません。だとしたら、それらを受け入れて生きるしかないという
 意味の言葉です。
 どんなに不運が続き、大災害に逢おうとも、それは紛れもない命の現実の姿でしかなく、
 そのことを「災難」としてしか捉えることができないならば、どこまでもその不運を嘆いて
 生きて行くしかありません。
 子供を亡くし悲嘆にくれる友人に対しそのことに一切触れることなく、
 「人として生まれたからには生老病死からは逃れることはできず、あるがままを
  受け入れ、その時自分ができることを一生懸命やるしかない」という仏教の教えを
 語ることで励ました、心のこもった言葉ではないでしょうか。
 そこには良寛さんの温かい人間味が感じられます。”
 (学校法人 光華女子学園 今月のことば「平成23年1月のことば」より引用。)

  ここで、「視線教育」という言葉を始めて知りました。
 おそらく加賀先生独自の言葉ではなかろうかと存じます。
 生徒一人一人に視線を向ける。特に問題生徒に視線を投げかける。
 また指名をよくする。生徒は認められていることを知ると、必ずよくなってくるものである。
 など、加賀先生の教育への情熱はただならぬものがあります。

  (三) こころの健康づくり

  ここでは、鹿島町の教育長時代の夢として図書館を設けることが述べられていらっしゃいます。
 現在、中能登町立鹿島図書館(公立図書館)が設置されており、先生の夢が実現されています。
 また、当図書館に中能登町生涯学習センターラピア鹿島(コミュニティ センター)が隣接されて
 おり芝生の広場もあります。
  それに、子供の憩いの場、公園も整備され、町の文化ゾーンとなっています。
 先生がご存命であるならばどんなに喜ばれたことでしょう。
 先生が種を蒔かれ、それが現在実っていると言うことであります。
 先生の「命の花」が見事に咲き誇ったと言うことであります。

  (四) 健康法の実践について

  食については昔から腹八分といいますね。
 また、複式呼吸は座禅からきています。
 なお、先生の実践された健康法は現代に通じ氏の「先見の明」に頭が下がります。

  (五) 諸事感謝と心の奉仕

  人生で経験することに無駄はない。「塞翁が馬」という言葉の通りです。
 また、「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」人生を川の瀬の浮き沈みに見立てて、不運があっても、
 そればかりではないから落ち込まないことだ、という意味のことわざです。
 「禍福は糾える縄の如し」「かふくはあざなえるなわのごとし」と読み、交差する縄の表裏を
 たとえて、幸福と不幸は表裏一体となってやってくるものだという意味のことわざですね。

  「今日もよし、明日もまたよし、明後日も、よしよしよしと生きる一日」  
 平沢興(京都大学第16代総長)この歌は私の大好きな歌の一つです。

  加賀良雄先生の「私の人生抄」<菊の巻>を拝読させていただき、自分の人生に重なる
 とこともあってか、共感だけでなく救われることが多くありました。
 誠に有り難く嬉しく思います。書を通じて先生にお会いできたことに感謝申し上げ、
 この五・六章を終えたいと思います。
 そして、会せていただいたけんちゃんに有難うであります。

  第七章 『黄』

  この章ではけんちゃんのご両親のご人徳がにじみ出ています。
 唐突ですが買い物先の店は「アンニャ」だと思います。

  幼い頃の小学校での遊びの思い出にはきりがありませんね。
 校舎屋根に上がってスズメの巣をとったり、校内でのかくれんぼ。肝試し。校庭での
 トンボ、蝉捕り。運動場では草野球、陣取りゲーム、ケンケンパー、缶けり、模型飛行機等々。
 また、講堂でピンポン。巡回映画。敬老会での演芸大会。
 なお、大きくなってからはピアノの練習、フォークダンス、青年団、町内の運動会、
 盆踊り、列挙に糸目がなくきりがない。

  私も小学時代に校庭の桜の木から落ちて息ができず気絶寸前のことがありました。
 なお、けんちゃんは小さい頃、火傷にあったことをこの章を読んで知りました。
 それに、別所に火傷の妙薬があったのですね。
 良くなってよかったですね。

  第八章 『金』

  法事には亡き人の思い出話が一番の供養になると思います。
 お父さんは色々と立派な功績のあるお方であられたのですね。

  ここで私の大好きな歌を紹介させていただきます。
 「父は照り母は涙の露となり同じ慧みに育つ撫子」(詠み人知らず)
 父の大智(光)と母の大悲(水)の慧みを頂いて育つ我が子(なでしこ)
 親の智慧と慈悲によって子は育つ。これを撫子に掛けられて歌っているのですね。

 鈴木大拙は文化勲章を授与されたときに昭和両陛下に御進講された名著「仏教の大意」大智と
 大悲(智慧と慈悲)についてご講話されました。この本を再度読み返したいと思います。。

  お父さんの倒られた現場の岡田家の前の喫茶店「雅」は偶然にも私の妻の実家です。
 なお、お父さんは死の直前まで人々の為に尽くされていたのですね。
 お父さんのお言葉、「楽したらダメやぁ、楽したら錆びたノミと一緒で、
 使い物にならんようになるがやぁ」は、肝に銘じたい素晴らしいお言葉ですね。
  また、加賀先生の何事にせよ、絶対こうしなくてはならぬのならぬ(拘り)をすてることである。
 これこそ我が座右の銘にしたいものです。
 と言うのも、私は何事にも完璧で完全主義なところがあって、そのことで苦しんでまいりました。
 この言葉は私にとって救いの言葉です。
 「人はほんの一言で救われる」とはこのことです。
 ストンと腑に落ちました。誠にありがたいことであります。

  「かくあるべし」という理想は必ず現実の自分との矛盾(=ギャップ)を生みます。
 これは誤った考え方ですね。
 また、「あるがまま」とは、気分や感情にとらわれず、今自分がやるべき事を実行していく、
 目的本意の姿勢を示し、積極・能動的な「あるがまま」と解釈し、頂いております。

 「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は 変わらざりけり」
 山岡鉄舟が残した名言ですね。
  
  凶福の凶は、対する吉で成り立ち、吉は凶によって成り立つ。
 吉がなければ凶とも言えず、その反対もしかりである。
 福と禍も同様であって従って「一如」という。明も暗があればこその明である。
 明があっての暗ですね。

  なお、
 ”一如とは、絶対的に同一である真実の姿、という意味の仏教用語である。
 「一」は絶対唯一、「如」は真如・如同の意で、一異の差別なく平等であることをいう。
 世間における一切の事物・現象には実相があり、普遍的に不二同一であることをいう。
 平たく読めば「一つの如し」となる。(” ウィキペディアより引用。)

  人は瀬戸際の「死」に直面し、立ち止まったとき、真の「生」に引っくり変える。
 瞬時に逆転して生に生まれ変わるとき、その生は強靭な生になるであろう。そう思います。

 また、重度の吃音症と人を二度と恨まない話についても目が止まり感嘆致しました。

  ここからは引用文です。
 “ 信仰をする人としない人の、一番大きな違いは、人生の問題の解決を「内」に求めるか、
 「外」に求めるかの考え方の違いではないかと思うようになりました。(略)

  例えば、こうです。どうしても赦せない憎い人がいるとします。
 ある人は、憎む対象となっている存在、すなわち「外」なるものを亡き者にして、
 自分の憎しみという「内」なる問題を解決するかもしれません。
  しかし、別の人は、憎しみという心、すなわち「内」なる心を問題として、
 なぜ憎いという感情が起きるのかを内省するのです。
  そして、憎しみの心をもつ自分を深く恥じるのです。
 憎い人、すなわち、「外」なるものは、内なる問題に比べて大きな問題にはなりません。
  外に問題の解決があると考えたがる人は、外に希望を感ずる人です。外、すなわち
 憎む人間がいなくなれば、憎しみはなくなると考える、世間の圧倒的多数の人です。
  これは人生に対する、人のとる姿勢の大きく分かれるところだと思います。(略)

 「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」と
 言い切った親鸞聖人は、またさに内、仏との対面だけを内省して生きていた人でしょう。(略)
 つまり、外なるものに価値を与えているのは、内の執着です。
 空腹時の握り飯と、満腹時のビフテキ、どちらが魅力的か、価値があるのか、
 内なる食欲が決めているのです。
 にもかかわらず、ほとんどの人は、物自体に価値があると誤解しています。

  人生は楽しいことがいっぱいあるのに、なにも深刻な顔をして、問題を難しくする
 必要などないじゃないか、死ぬときはみな死ぬんだから。・・・
 「外」を大切にする人は、そう言います。
 それでも「内」に眼を向ける人は、ものごとを正しく見る眼をもっている人だと思います。(略)

 桜井鎔俊師いわく「悪人とは如来に対面して自己を根元から否定した者を意味するのである」と。
 社会生活がいろいろの意味で豊かになっていくことに生き甲斐を感じている人は、
 (本人は自覚していないと思いますが)決して、信仰を求めていませんので、如来と
 対面する喜びを体験することはできないと思います。

  「他力をたのむこころかけたる」善人は、仏ではなく、自分の心を命綱として人生という
 崖登りをしていますので、もし、その命綱から手など離してしまったら、自分が長い人生で
 築いてきた「生きる意味」を失い、奈落の底に転落してしまいます。

 《手を離せ、我が、底で受けとめるぞ》と、耳の底で仏が語りかけても、善人は人生を捨て、
 生き甲斐を失う恐怖には勝てないのです。
 仏ではなく、どこまでも自分を頼りにする習慣から脱することができないのです。悲しきかな。
 (略)とあります。

  仰せの通り 外の解決にばかり心を配っていることに気づかされます。
 お念仏は 南無阿弥陀仏は 如来と対面させる働きがあるのです。
 南無阿弥陀仏は 生きる意味を 示してくれる働きがあるのです。”
 (妙念寺・電話法話原稿一覧「平成16年 第589回 内か外か」より引用。)

  <註>この引用文の文中に登場する桜井鎔俊師について
 加賀先生は師の教えにより根本的に心の救いを得ることができたと
 「私の人生抄」<菊の巻>で告白しております。

  第九章 『桃』

  宗次郎や喜多郎の音楽は癒されますね。時々座禅や瞑想に使っています。
 我が家の正月のカウントダウンは喜多郎の曲、シルクロードで乾杯してます。

  第十章 『紫』

  この章では146pの漬物とご飯で大きくなったようなものだ。
 で、クッスと笑ってしまいました。
 また、150pでは弔問客たちが、寝ている父に向かって正座し、数珠を出して手を合わせ・・・
 (ここでも笑ってはいけないのに、つい笑ってしまいました。)

 なを、心停止、呼吸停止であっても耳は聞こえていると言いますね。耳が最後に死ぬらしいです。
 (このことからご臨終の会話には配慮しなければなりませんね。)

  やさしいお母さんの死に目頭が熱くなりました。

 小学生の頃です。久六にいたおばあちゃんがいつも西に沈む夕日に手を合わせて拝んでいました。
 確か、信仰深い高橋のおばさんだと思います。
 そのおばあちゃんから二個のボールをいただきました。
 善い行いをしたら赤い糸を、悪い行いは黒い糸を巻く。
 赤い糸巻きのボールが大きくなるようにといただきました。
 いろいろと近所の大人に育てられて大きくなったと思っています。

  それに、綺麗なおかみさんの民話が実におもしろい。
 また、けんちゃんの憲は憲法の憲ですね。
 私達の結婚記念日は憲法記念日です。
 これもまた不思議な縁ですね。

  第十一章 『白』

  蜻蛉の守護神の物語はよくできていて実におもしろい。
 小説のラストはスタンディングオベーションです。
 見事な小説に敬服致します。

  徹底的にリサーチした研究によれば、運は魔法の力でも、神様からの贈り物でもなく、
 「考え方」や「心の持ちよう」が大きく影響すると述べており、松下幸之助さんが面接の
 最後に必ず「あなたは運がいいですか?」と質問し、「運が悪いです」と答えた人は、
 どれだけ学歴や面接結果が良くても不採用にしたという話はあまりにも有名です。

  178pの「無明煩悩」「往生一定」のところで仏法の"三毒"が浮かびました。
 "三毒とは、仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、すなわち
 貪・瞋・癡を指し、煩悩を毒に例えたものである。 三毒は人間の諸悪・苦しみの根源と
 されている。ブッダの説いた根本仏教、大乗仏教を通じて広く知られている概念である。
 (" ウィキペディアより引用。)

  あとがき

  私の人生と重ね合わせて読まさせていただきました。
 私は幼児の頃「膿胸」という病にかかりました。手の施しがないと言ったその医者の前で
 母が私の口の中に手を指し込み、さらに口で膿を吸い出して私の命を助けた話です。
  それに、自転車に乗っていて、車との交通事故に2度遭いました。いずれも無傷。
 それから肺炎で入院、直近では重度の熱中症で救急搬送。
 けんちゃんと同じように運がいいのかも知れません。

  虹は七色ですがけんちゃんの虹は11色ですね。
 どの色も眩しく時には重く輝いていました。
 読み応えのある11色の深い深い小説でした。
 読み終えた後、さわやかな風がよぎります。
 主人公に同化して、いま不思議な感覚になっています。これがカタルシス効果なのでしょうか。
 とにかく高次元に昇華され、かつ、精神が浄化されました。

  「最後に」

  ここではこの小説の終わりに添えてふさわしくまとめるかのようにけんちゃんの人生論、
 エキスが凝縮しています。「生死観」即「死生観」、「死生観」即「生死観」ですね。
 すなわち「生死一如」です。
 けんちゃんの「いかにして生きるか」はそのまま「いかにして死ぬか」と言うことです。
 けんちゃんは自分が何者であるか、アイデンティティの旅に出かけたのかも知れません。
 この先も物語が続くことでしょう。まるで、ネバーエンディング・ストーリーのようです。

 読み終えた後、私にとって、ためになる話しが山積みであることに気づき感謝しています。

 「けんちゃんの大河ドラマ」にありがとう。そして、けんちゃんにありがとう。

  <終わり>

 〜追記〜 

  けんちゃんの壮絶な人生。よくもここまで調べて書かれたなぁ〜と思います。
 驚きです。小説の中の皆さんに出会ったことに感謝しています。
 更に言えば、NHKのテレビ番組あなたのファミリーヒストリー〜ルーツにまつわる
 「謎」や代々伝えられてきた「伝説」!〜を観ているようでした。

 令和元年11月19日
 けんちゃんへ
 ノッチより


 もしよかったら、あなたもこの自伝的小説 『けっ!くだらん』を読んで見て下さい!。

 読後の感想はコメントでお気軽によろしくです!!!てらけんより^^)。










posted by てらけん at 09:11| Comment(0) | 青い屋根だより | 更新情報をチェックする